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2015年8月2日坂下教会礼拝メッセージ

2015年8/2礼拝説教「許可が必要ですか」マルコ11:20~33

 前回は、小見出しに「神殿から商人を追い出す」と題が付けられたとても有名な箇所を学びました。ただし実際にイエスが追い出したのは、神殿体制と癒着して利益を貪っていた商人たちだけではありませんでした。商人から儀式用の生け贄を購入していた参拝者たちも追い出したのです。つまり、信仰的に純粋な民衆も追い出したのです。このことから考えると、ここは昔から言われてきた「宮清め」ではなく、むしろ神殿体制そのものを否定した「宮壊し」ではないだろうかと読みました。

 さらに加えて、神殿での罪の赦しの儀式を経なければ神と結ばれないということではなく、人は皆、誰もが他者のために祈りを献げることができるゆえに、神と結ばれているのであり、パウロが言うように人は皆神殿だということも結論として学びました。

 今日はその続きです。二つの段落を一気に読みます。そもそも11章全体がひとつのまとまった物語だと言えますので区切らないで読むことにしました。最初の段落は、前々回の「いちじくの木を呪う」の段落の話の後日談といえるものです。イエスの呪ったいちじくの木が枯れていたというのです。

 イエスは枯れたいちじくを見て、「神を信じなさい。はっきり言っておく、だれでもこの山に向かって、立ち上がって、海に飛び込めと言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、その通りになる」といいます。これは単に信仰のありようについて述べられた言葉ではなく、具体的な背景の上で述べられたものと思われます。

 イエスは「この山」と述べています。どこかにある不特定な山ではありません。「この山」なのです。ある特定の山を指して、この言葉を述べているのです。イエスは神殿で大騒ぎを起こしました。その翌日、再びベタニア村からエルサレムを目指して向かう途中でした。その時、前日にイエスが呪ったイチジクの木が枯れていたと記されていたわけです。

 貧しく弱い者たちが隅っこに追いやられていたベタニア村、そんな弱い彼らを踏みつけてエルサレムの神殿体制。それに対して激しい怒りを向けたイエス。こうした一連の状況の直後に、イエスは言われたのです。「この山に向かって」云々。エルサレム神殿はどこに建っていたのでしょうか。シオンの山です。つまり、「この山」とは、エルサレム神殿が建っていた「シオンの山」のはずです。さらに言えば、その山に立つエルサレム神殿体制のことであり、もっと言うなら、その背後にある、ローマ帝国と結託していたユダヤ当局のことではないでしょうか。

 イエスは言うのです。「この山に向かって、立ち上がって、海に飛び込め」。ここは原文に忠実に訳してある岩波書店の聖書では、「引き抜かれて、海に投げ込まれてしまえ」。となっていました。新共同訳とはニュアンスがかなり違います。イエスの言葉には怒りが込められています。

 イエスは「この山」、すなわち弱く小さな者たちを、神という名を利用しながら踏みつけていたこの神殿体制と背後にあるユダヤ当局から、その権威や権力が引き抜かれ、海に投げ捨てられてしまえ、疑いなく心から祈るとき、その祈りは叶えられる。そしてその祈りを祈った時点で、それはすでに叶えられたものと信じなさいというのです。事実、紀元70年頃のローマ帝国との第一次ユダヤ戦争で、エルサレム神殿は崩壊します。ユダヤ教は以後神殿宗教ではなくなるのです。

 次の27節以下の段落に進みます。イエスの一行がエルサレムに到着します。場所は再び神殿境内です。すると、ユダヤ当局の者たちがイエスのところにやって来るのです。通常は、律法学者、祭司長と一括りに表現されることがほとんどなのですが。ここでは「長老」という存在も同時に記されています。いずれも、ユダヤの政治、経済、宗教の最高決定機関サンヘドリンの構成メンバーです。つまり、イエスの存在がユダヤ当局にとって大問題となっていたわけなのです。


 彼らはイエスに向かって、何の権威でこんなことをするのか?誰がその権威を与えたのか?と詰め寄るのです。それに対してイエスは、逆に彼らに質問をするのです。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのかを答えようというのです。質問の内容は、ヨハネの洗礼は天からのものだったのか、それとも、人からのものだったのかというものでした。バプテスマのヨハネが行っていた洗礼運動は、正統的なユダヤ教からはみ出した異端的な活動でした。ですから彼らはヨハネの洗礼など認めていません。

 したがって、天からのもの、つまり「神からのもの」と答えられるわけがありません。逆に人からのものと言った場合、群衆を恐れたと言います。群衆はヨハネをほんとうの預言者だと信じていたからです。預言者は神から遣わされた者と信じられていました。結果として彼らはわからないと答えます。不利な立場に追い込まれることを避けたのです。するとイエスは、だったら自分も何の権威でこのようなことをするのか言わないとあるのです。どうも何が言われているのかよくわからない箇所です。

 今日の説教題を「許可が必要ですか」と付けました。これは、「権威」と訳された言葉の本来の意味が「許可」ということからつけたのです。そもそも「権威」とは、他者を支配、服従させる力を意味します。数年前に亡くなられた精神医学者のなだいなださんの定義の方がよりわかりやすいと思います。なださんは、権威とは、自発的に言うことを聞くようになる力といいます。因みに似たような言葉で「権力」がありますが、なださんは、権力とは、強制的に言うこと聞かせる力といってます。

 ただ、言いましたように、権威と訳された言葉は、原文では「許可」です。岩波書店の聖書では「権能」と訳してありました。権能とは、あるものをすることができる資格ということです。わたしは原文にしたがって許可にしたのですが、権能とニュアンス的には近いです。要するに何の根拠があってというか何の理由があって、こんなことができるのだということです。この箇所でのポイントは、ユダヤ当局の人たちが、根拠だの理由だの資格だの権威だの、そうしたことに拘っているということではないでしょうか。

 彼らはイエスに対して「何の権威で、このようなことをするのか」と問います。「このようなこと」とは、神殿での暴力行為です。もう少し言えば神殿体制の否定ということでしょう。彼らにとって、聖なる存在である神殿、そこで営まれる儀式は神の権威や許可があってであり、それを否定するなど、あるまじき行為だということなのでしょう。ですから、否定するなら、そこには当然、神の権威権能があってのことではないかということなのです。

 イエスはハッキリとしたことは答えないのですが、わたしはここでイエスの伝えたかった意味は、彼らが権威とか資格とか根拠とか、そういうことに拘ってほんとうに大事なことが見えなくなってしまっていた。そのことへの痛烈な批判だったのではないかと思ったのです。

 1867年(慶応3年)、隠れキリシタンとして信仰を守り続けた浦上村、現在の長崎市の村民たちが江戸幕府の指令により、大量に拷問を受け棄教した弾圧事件がありました。「浦上四番崩れ」と呼ばれる事件です。このとき81人の信徒が弾圧を受け棄教したのですが、ただ一人だけ棄教しなかった信徒がいました。高木仙右衛門という人です。この人は明治32年まで生きて教会を指導した方です。

 幕府の尋問官が「邪宗門はご禁制になっていると知らなかったのか」と問いただしたとき、仙右衛門はこう答えたといいます。「もとより存じておりました。…しかしこの教えは本当に優れて立派な教えで、ただ善いことばかりを教えるのです。浦上はキリシタンの教えがわかってから見違えるほど変わってまいりました。喧嘩もせず、大酒も飲まず、よく病人を看てやります。野良仕事にも骨を惜しまず働きます。」仙右衛門は、これらの良き業に果たしてお上の許認可がいるのかと逆に問うたのではないでしょうか。そしてたとえご禁制であっても、自分はこの生き方を変えるつもりはないと堂々と語ったのです。

 イエスの神殿批判、神殿そのものの否定とは、神の権威などといって威張り、自らを神の使者だと正統化して、実際には民衆の差別化と格差社会を助長していたことへの非難であり否定です。

 人が理不尽な扱いを受けず、活き活きと生きられる。そのためならば、そこに誰かの許可など必要無い。神の権威といったことも必要無い。すでにその想いや願いや希望のうちに神が働かれているのだ。それが、ここでのイエスの答えだったのではないでしょうか。

 今日は教団が定める「平和聖日」です。人は、武器商人と呼ばれる者を除けば、ほとんどが「平和」を望んでいるはずです。ましてわたしたち信仰者は当然です。でもそれは、信仰者だからなのでしょうか。「平和をつくりだす者は幸いだ」とイエスが言われたからなのでしょうか。そうではないと思います。平和を望み、平和をつくろうとするのに、権威も資格も許可も信仰もありません。それは人として当然のことです。生きとし生けるものとして、わたしたちの魂に刻み込まれた精神です。本質です。いのちそのものです。

 権威、権能、許可、根拠、理由、いろいろあります。しかし、そうしたことに拘ったとき、わたしたちは大事なことを見失う危険がある。大切なものを見落とす失敗をする。今日の箇所のイエスからそう伝えられたように思うのです。


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by buku1054 | 2015-08-03 17:56 | 礼拝メッセージ | Comments(0)