<   2015年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧

2015年5月24日坂下教会礼拝メッセージ

2015年5/24「胸を張って生きよう」使徒言行録2:1~13

 今日は教会の暦で「ペンエコステ」です。日本のプロテスタント教会では、ほぼ「聖霊降臨日」と呼んでいます。神の働きがこの世に降ったということです。キリスト教の三大祝日の一つです。この世界に教会が誕生し、キリスト教の宣教がはじまったことを覚える日です。そういうことで、今朝はマルコによる福音書を離れて、この日にちなんだ聖書箇所から聴きたいと思います。

 ところでわたしは、今から55年前、神奈川県川崎市、新丸子というところで生まれました。新丸子は、東京と神奈川の間に流れる多摩川の辺にある町です。当時は小さな町です。わたしの「母子手帳」によりますと、わたしは昭和35年、西暦で言えば1960年10月27日午後4時8分、この世に生を受けました。身長52㎝、体重3.3㎏でした。

 生まれた病院は「立岡産婦人科」という病院でした。まだその頃は出産の件数が多かったので、独立した産婦人科が多かったようです。また、わたしが生まれた昭和35年はベビーブームだったようです。それから父の仕事の都合で川崎市に3年、それ以降は東京の各地で生活しました。ですから、川崎市で3年、東京で33年生活したのです。でも、人に説明するときは面倒なので東京で生まれ育って36年間と言ってます。

 そして19年前、坂下にやってきました。途中から川上に引っ越しましたので、坂下および川上で満18年ということです。 丁度、東京時代の半分をここで過ごしたことになります。今までの人生を振り返りますと、何でこうなったのか。何でここにいるのか。とっても不思議な気持ちで一杯です。やはり神の働き、神の導きがあるのでしょうか。

 ともかく、これだけ長くいると、わたし自身、いろいろな変化がありました。その内で、今日の主題から言うならば、「言葉」です。18年もいるわけですから、この地方の方言が身につくと思います。でもわたしは、一向に東京の言葉で喋っています。娘の未来は、ここで生まれ育ったので、坂下訛が身についています。それは当然です。でも久美子が、ここの訛を自然に駆使していることが、わたしからするとどうもわからないのです。不思議だなあと思います。女性は順応性が高いのでしょうか。

 それに対して、わたしはこの地の訛に染まりません。多少は影響を受けているとは思いますが、地の人からしたらほとんど標準語で話していると思います。なぜでしょうか?改めて考えてみました。

 わたしは、自分のルーツというか、自分の根拠というか、それは、紛れもなく東京だと思っています。
わたしにとって、30数年過ごした所、その東京がわたしの故郷です。これを変えることはできません。

わたしは今、この地が大好きです。一方、正直言って、東京は好きではありません。誰も彼もが憧れる東京、なんだか驕り高ぶっているような東京。牧師の世界でも、最初は田舎の小さな教会で修行がはじまって、次に地方都市の中規模教会でキャリアを積んで、最後は東京の大教会でゴールイン。それが暗黙の了解になっています。そんな恵まれた東京が好きになれないのです。

 先週東京に出張で行きました。4年ぶりでした。あまりの変わりように戸惑いました。数多い人の流れを見ていて目が回る思いでした。空気が悪いです。ともかく居心地が悪いのです。でも、次の日に名古屋に来ると安心しました。さらに次の日にここまで来ると嬉しくなりました。わたしはすっかりこの地の人間になった。改めてそう思いました。しかし、そんな嫌いな東京にわたしは生まれ育ったのです。そこは亡くなった両親が生き抜いたところです。今も兄弟がいます。親友がいます。わたしを育てた教会と神学校があります。それが東京なのです。そんな東京をわたしは否定できません。


 ここ東濃で骨を埋めることになったとしても、それでもわたしは東京人である。また、そのことを忘れたくないという自分があるのです。それがこの地方の方言を喋らない理由だと思います。わたしは東京の人間だ。それは棄てたくないのです。理屈でない思いがあるのです。わかってもらえるでしょうか。


 さて、「ペンテコステ」です。イエスが復活された後、50日目、神の働きがあって、教会が成り立ち、宣教がはじまった。それを記念する日です。ところで、イエスが殺されて、教会が起こるまでの50日間。弟子たちは、いったい何をしていたのでしょうか。聖書によれば、どうも弟子たちは、ずっとある家の中に隠れていたようです 。信頼していたイエスが殺されて、恐ろしくなったからです。

 自分たちにも火の粉が及ぶのではないか、見つかったら、拷問されたり、イエスと同じように殺されるのではないだろうか。そう思って恐れていたと思います。だから、町の中に行くときは、声を潜めて、しゃべらないようにしていたのではないでしょうか。それがこの箇所のキーワードです。言葉なのです。

 考えてみたら、イエスも弟子たちもガリラヤの訛が強い言葉を話していたはずです。その言葉を聞かれたら「こいつはガリラヤ訛だな。ガリラヤの方言だな、そういえば、この間イエスというガリラヤの男が十字架で殺されたばっかりだ。もしかしてお前もその仲間じゃないのか」。そんなことになるかも知れません。実際、ペテロは、イエスが捕らえられた後当局に忍び込み、ガリラヤ訛がばれて危機が迫ったのです。だから弟子たちは、家の中にずっと隠れていたのです。それでも食料の調達など、たまにやむを得ず外に出なくてはなりません。そのときには、絶対にガリラヤの言葉をしゃべらないようにしよう。そうお互いに確認し合っていたと思います。


 でも、50日目のその日、弟子たちが隠れていた家の中に、何とも不思議な風が吹いてきました。窓もドアも閉め切っているのに、どうしてこんな風が吹いてきたんだろう、そう思っていると、なんだか自然に勇気が湧いてきて、気が付くと弟子たちは外に出て、大声でイエスのことを話し始めていた。どうもそんな感じなのです。


 彼らは、どんな言葉でしゃべり始めたのでしょうか。聖書には「他の国々の言葉で話し出した」と書いてあります。でも、それは違うと思います。いくら何でも突然知らない国の言葉をしゃべり出すわけがありません。ほんとうは、弟子たちは自分の言葉、ガリラヤ訛の自分の言葉でしゃべりだしたのではないでしょうか。今まではイエスの仲間だと言われるのが怖くてしゃべれなかったガリラヤ訛をしゃべりだした。そう思うのです。

 するとそこにたくさんの人が集まってきました。ちょうどのその日は、ユダヤ教の五旬祭という小麦の収穫感謝のお祭りの日で、外国からもたくさんの人たちがエルサレムに来ていました。その人たちは、それぞれの国で、ユダヤ教の教えや祭儀などの話を聞いて、ある意味、現世的な利益を求めて、わざわざ異教の祭りに参加していたのだと思います。

 でも、いざエルサレムに来てみると、「お前は外国人だな、ユダヤ人の言葉をしゃべれないんだな」「外国人はユダヤの神殿には入っちゃいけないんだぞ」「そもそも外国人が救われることなど絶対にない」などと、冷たい言葉を浴びせられ、意気消沈していたと思うのです。ですから、ユダヤ人以外の人たちは、外国人だということがばれないように、絶対に、自分の言葉をしゃべってはいけないと自分に言い聞かせていたのかも知れません。

 そこにいた人たちのリストが記されています。パルティア、メディア、エラム、メゾポタミア、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、リビア、クレタ、アラビア、いろんな国の人たちがいました。実は、ここに挙げられている国は、皆ローマ帝国によって侵略され、蹂躙され尽くされた国々です。

 ローマの軍隊がやって来て、「この国はこれからはローマ帝国のものだ。この国でとれる食べ物も産業も文化も何もかもローマ帝国のものだ。おまえたちは、これからは俺たちローマの家来になるんだ。ローマに刃向かったりしたらみんな殺してやるぞ」、そんなふうに言われていたのでした。それなのに、このガリラヤの人たちは、胸をはってガリラヤ訛でしゃべっているではないか。ローマに刃向かった者として殺されたイエスのことを、イエスと同じガリラヤ訛でしゃべっているではないか。それはほんとにびっくりするようなことだったのではないでしょうか。そしてそれを聞いているうちに、外国から来た人たちは、なんだか自分の生まれ故郷の言葉を聞いているように思えてきた。そう思うのです。

 彼らは思ったはずです。そうだ、胸をはって、自分の言葉をしゃべってもいいんだ。ユダヤの言葉をしゃべれなくたっていいんだ。ローマの言いなりにならなくたっていいんだ。イエスの弟子たちが、胸をはってガリラヤ訛でイエスのことをしゃべりだしたのを聞いた人たちは、きっとそんなふうに、思ったんじゃないでしょうか。

 ペンテコステの日の出来事というのはそういう出来事だったと思うのです。それは、どの国の人も、どんな人種でも、どんな民族でも、どんな言葉をしゃべる人も、胸をはって自分らしく生きていくことがよしとされた日ということではないでしょうか。それこそが教会がこの世の人たちに示す福音ということではないでしょうか。


[PR]
by buku1054 | 2015-05-24 18:27 | 礼拝メッセージ | Comments(0)

2015年10日坂下教会礼拝メッセージ

2015年5/10礼拝説教「右と左」」マルコ10;35~45

 私たちの国日本では、クリスチャンであることで、何か特権が与えられたり、利益があるということは、まずほとんど無いと思います。それどころか不自由さとか嫌な思いになることが多いのではないでしょうか。特に私たちのような農村社会では、ストレスの溜まることが多いと思います。地域の活動は、ほとんどが日曜日です。したがって、地域を選ぶか教会を選ぶかで、皆さんも苦労してこられたと思います。私自身がそうです。牧師という立場は、この地域ではまったく考慮されません。

 あれは、山田 伝さんのお嬢さん、早川美和子さんが末期癌で、県立多治見病院に入院したときのことです。もう17年くらい前ことです。わたしと河村忠二さんが、美和子さん危篤の報せを聞いて病院を訪ねました。臨終にあって最後の祈りを捧げようとしたのです。しかし、担当の看護師さんは、私たちの面会を頑なに拒否しました。忠二さんは、この人は牧師である。彼女は信者である。面会することは大切なことだと粘ったのですが、その願いは叶えられず、帰らざるを得なかったのです。帰りの車中、忠二さんは嘆いていました。この国では、牧師の存在など、あまり顧みられていません。日本の田舎では、キリスト教がいかに信用されていないかの一つの例です。

 さて、今日の箇所をご一緒に考えたいと思います。ヤコブとヨハネ、イエスの側近です。ペテロと共にイエスからもっとも信頼された者たちです。彼らがイエスに願うのです。あなたが栄光を受けるとき、私たちをあなたの右と左に座らせて下さい。

 今日の説教題を「右と左」としました。右と左とは、最高の地位にして下さいということです。側近中の側近、最高の名誉と特権、そして他の者とは違うより豊かな利益、それを願うのです。しかも彼らは、願いを叶えてくださいとさえいうのです。単にお願いするのではなく、確実にそうして欲しいというわけです。


 何とも図々しいというか強欲といえます。この後、出し抜かれた他の10人の弟子たちが腹を立てたということが記されています。つまり他の10人も同じ穴のむじなです。強欲なのです。自分こそ得したい。他の弟子たちの誰よりもより上になりたい。得をしたいと思っているのです。

 前の段落では受難予告がありました。イエスの目指すことがわかったように思うのですが、実は彼らは何もわかっていい。素晴らしい状態が待っている。そう思っています。その前の段落でペテロが言うのです「私たちは何もかも棄ててあなたに従ってきた」。「何もかかも棄てたんですよ」というのです。つまり、弟子たちにしたら、これだけの犠牲を献げてきたのだから、それ相応の報いがあるのは理解しているのです。というかまるで脅迫しているようです。これだけ献げたのだから、それ相応の報いをしろなのです。

 読んでいると、弟子たちの醜さを感じます。しかしこれが人間の思いではないでしょうか。私たちは弟子たちを批判できないと思います。この国で信者になることは極めて稀なことです。信者は国民全体の0.7%以下です。しかも世間の好意的な承認はほとんどありません。信者であることで何ら得することはない。むしろ不都合や不利益が多いのです。しかしそれにもかかわらず、懸命に信者としての責務を果たしている。それが私たちの現実です。

 そんな私たちだからこそ、必ず大きな報いがあるはずだ。やがて素晴らしい幸福が与えられるはずだ。信者でない者と同じ報いがあるなど絶対に赦せない。信者同士であっても、熱心に教会生活をしている自分とそうでない者とはいただける報いが違うのは当然だ、そうでなくては理不尽だ。そんなふうに思うこともあるのではないでしょうか。まさにあの放蕩息子の譬え話のお兄さんと同じ考えです。しかし、イエスの思い、イエスが考える栄光はこれとはまったく違うのです。イエスは、偉くなりたかったら、つまり「栄光」を得たいのだったら、仕える者になれ。奴隷のように仕えろ。徹底して低いところに自分を置けというのです。ここで「仕える」と訳されている言葉は、原文では「ディアコニア」という言葉が使われています。これは「ディア;~を通る」という意味と、「コイノス;塵や泥」という意味の合成語です。

 つまり、他者に仕えるとは、人が嫌うような、まったく低く、利益もなく、それどころか理解も得られない、尊敬もされない、馬鹿扱いされる。そんなところまで身を落としてまでも、他者のために生きる。まさに泥まみれになっても他者のために生きる。そんな意味なのです。

 さて、先週に引き続き、西郷隆盛のエピソードを紹介したいと思います。幕末の日本にとって最大の問題は、欧米列強諸国に対して、たとえ理不尽であっても外交関係を結ぶ「開国」を進めるのか、それとも、このまま鎖国を続け、外国の理不尽な要求に対して武力も辞さない「攘夷」を実行するのかということでした。

 この状況下で、アメリカから開国要求を迫られます。そのとき最高責任者であった、大老、井伊直弼は、他の有力な藩主や朝廷の意向を考慮せず、「日米修交通商条約」を結びました。日本側にとって不平等な条約です。また、将軍の後継者問題でも、井伊直弼は、周囲を無視して独断で選んだのです。

 井伊直弼にとって、やむを得なかった思います。しかし、これらの決定に、有力な藩主たちは激しく非難します。井伊直弼は、反対意見の者たちを徹底的に弾圧するのです。これが「安政の大獄」と呼ばれた事件です。これによって、多くの有能な人たちが弾圧されました。今、放映されている大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の一人、吉田松陰も弾圧されたひとりです。ちなみに井伊直弼は、この恨みを買って暗殺されます。「桜田門外の変」です。

 さて、安政の大獄の弾圧対象者の一人に、京都清水寺の住職、月照という人がいました。僧侶でありつつ、政治活動をしていた人です。井伊直弼の政策に批判的でした。西郷とも活動を共にし、お互い尊敬し合った仲でした。西郷はこの月照を匿います。そして隠密の旅の末、故郷鹿児島にやって来ます。西郷は月照の保護を薩摩藩に懇願するのです。しかし、幕府の弾圧を恐れた当時の藩主、島津久光は、月照を、「日向送り」にせよと西郷に命じるのです。日向とは今の宮崎県です。鹿児島と宮崎の県境で、月照を斬り殺せ。これが日向送りの意味なのです。

 西郷は苦しみの境地に立たされます。藩主の命令は絶対です。逆らえば死刑です。でも、西郷は共に活動してきた月照を殺すことなどできません。月照は、西郷の立場を思えば自分の運命を覚悟していました。そこで何と西郷は、月照との心中を決意するのです。西郷は薩摩藩ではなくてはならない存在です。しかし西郷は、どうしても月照を見捨てることができないのです。だから心中という決断をするのです。

 鹿児島の錦江湾を渡航中の舟から、西郷と月照は固く抱き合ったまま、入水したといいます。他の乗組員が必死に二人を救助します。結果は、月照は溺死。西郷は意識不明の重体でした。でも、西郷は三日後奇跡的に息を吹き替えしました。西郷は月照と一緒に死ねなかったことを生涯悔やんだといいます。西郷は「情の人」だといわれます。他者の悲しみや苦しみを観て、放っておけない人なのです。この世的な損得で動かないのです。

 イエスが考える栄光とは、西郷のように、人を愛する。そのためなら不利益を被ることも厭わない。それこそが「栄光」なのだ。すなわち、神の思いなのだということだったのではないでしょうか。

 十字架の場面を思い出して欲しいと思います。三本の十字架が立っていたのです。イエスの十字架の右と左には犯罪人が掛けられていたのです。国家反逆罪として十字架に掛けられていたのです。ローマの圧政に謀反を起こした彼らです。民衆の幸福のために生きた彼らなのです。イエスの右と左になるということは、たとえ自分が不幸になろうとも、損をしようとも、それどころか、殺されようとも、それでも、イエスの志を受け継いで生きることを厭わないということではないでしょうか。

 わたしたちは、信者になることで、きっと、報いがある。そう信じていると思います。また、そうでなくては理不尽だ。そう思うこともあります。しかし、実際には、信者になって、イエスに従うことは、いい事など何もなく、辛いことばかりの人生になるかも知れません。

 しかし、キリスト教信仰とは、それでも自分は、イエスを救い主と信じて生きることを決意することです。そこでは人間の思いや願いはまったく打ち砕かれます。それでも私たちはイエスに従っていけるのでしょうか。厭々、そんな宗教では無理です。従えません。そう思うのでしょうか。皆さんは、この問いかけに、どう向き合うのでしょうか。



[PR]
by buku1054 | 2015-05-10 18:56 | 礼拝メッセージ | Comments(0)

2015年5月10日坂下教会礼拝メッセージ

2015年5/10礼拝説教「右と左」」マルコ10;35~45

 私たちの国、日本では、クリスチャンであることで、何か特権が与えられたり、利益があるということは、まずほとんど無いと思います。それどころか嫌な思いになることが多いのではないでしょうか。特に私たちのような農村社会では、ストレスが溜まることが多いのではないでしょうか。地域の活動は、ほとんどが日曜日です。したがって、地域を選ぶか教会を選ぶかで、皆さんも苦労してこられたと思います。私自身がそうです。牧師という立場は、この地域ではまったく考慮されません。

 あれは、山田 伝さんのお嬢さん、早川美和子さんが末期癌で、県立多治見病院に入院したときのことです。もう10数年も前こととです。わたしと河村忠二さんが、美和子さん危篤の報せを聞いて病院を訪ねました。臨終にあって最後の祈りを捧げようとしたのです。

 しかし、担当の看護師さんは、私たちの面会を頑なに拒否しました。忠二さんは、この人は牧師である。彼女は信者である。面会することは大切なことだと粘ったのですが、その願いは叶えられず、帰らざるを得なかったのです。帰りの車中、忠二さんは嘆いていました。この国では、牧師の存在など、まったく顧みられていません。日本の田舎では、キリスト教がいかに認知されていないかの一つの例です。

 さらにいいますと、わたしは年に一回、川上の子育て支援部会の会長として川上小学校の環境整備のときは教会に無理を言って休みを取ります。今年は6月7日です。でも、それ以外の日曜日の行事は協力しません。というかできません。しかし、それは地域の人たちにしてみれば非協力的なのです。これでは、教会が地域の人たちに認められることはないでしょう。かといって、地域の人たちに何もかも合わせても、教会としては何の利益もないと思います。農村の教会は、伝道が困難であるというのが実感なのです。


 さて、今日の箇所をご一緒に考えたいと思います。ヤコブとヨハネ、イエスの側近です。ペテロと共にイエスからもっとも信頼された者たちです。彼らがイエスに願うのです。あなたが栄光を受けるとき、私たちをあなたの右と左に座らせて下さいと。

 今日の説教題を「右と左」としました。右と左とは、あなたに従う者の中で最高の地位にして下さいということです。側近中の側近、最高の名誉と特権、そして他の者とは違うより豊かな利益、それを願うのです。しかも彼らは、願いを叶えてくださいとさえいうのです。単にお願いするのではなく、確実にそうして欲しいというわけです。

 何とも図々しいというか強欲といえます。この後、出し抜かれた他の10人の弟子たちが腹を立てたということが記されています。つまり他の10人も同じ穴のむじなです。強欲なのです。自分こそ得したい。他の弟子たちの誰よりもより上になりたい。得をしたいと思っているのです。

 前の段落では受難予告がありました。イエスの目指すことがわかったように思うのですが、実は彼らは何もわかっていなかったわけです。素晴らしい状態が待っている。彼らはそう思っているのです。前の段落でペテロが言うのです「私たちは何もかも棄ててあなたに従ってきた」。つまり、弟子たちにしたら、これだけの犠牲を献げてきたのだから、それ相応の報いがあるのは当然だと信じて疑わないのです。

 これが人間の思いではないでしょうか。私たちはこんな弟子たちを批判できないと思います。この国で信者になることは極めて稀なことです。信者は国民全体の0.7%です。しかも世間の好意的な承認はほとんどない。信者であることで何ら得することはない。むしろ不都合や不利益が多い。しかしそれにもかかわらず、懸命に信者としての責務を果たしている。それが私たちおかれた現実です。


 そんな私たちだからこそ、必ず大きな報いがあるはずだ。やがて素晴らしい幸福が与えられるはずだ。信者でない者と同じ報いがあるなど絶対に赦せない。信者同士であっても、熱心に教会生活をしている自分とそうでない者とはいただける報いが違うのは当然だ、そうでなくては理不尽だ。そんなふうに思うこともあるのではないでしょうか。まさにあの放蕩息子の譬え話のお兄さんと同じ考えです。

 しかし、イエスの思い、イエスが考える栄光はこれとはまったく違うのです。イエスは、偉くなりたかったら、つまり「栄光」を得たいのだったら、仕える者になれ。奴隷のように仕えろ。徹底して低いところに自分を置けというのです。ここで「仕える」と訳されている言葉は、原文では「ディアコニア」という言葉が使われています。これは「ディア;~を通る」、「コイノス;塵や泥」という意味の合成語です。

 つまり、他者に仕えるとは、普通であれば、まったく人が嫌うような、まったく低く、利益もなく、それどころか理解も得られない、尊敬もされない、馬鹿扱いされる。そんなところまで身を落としてまでも、他者のために生きる。まさに泥まみれになっても他者のために生きる。そんな意味なのです。


 さて、先週に引き続き、西郷隆盛のエピソードを紹介したいと思います。幕末の日本にとって最大の問題は、欧米列強諸国に対して、たとえ理不尽であっても外交関係を結ぶ「開国」を進めるのか、それとも、このまま鎖国を続け、外国の理不尽な要求に対して武力も辞さない「攘夷」を実行するのかということでした。

 この状況下で、アメリカからの二度目の開国要求を迫られます。そのとき最高責任者であった、大老、井伊直弼は、他の有力な藩主や朝廷の意向を無視して、「日米修交通商条約」を結びました。日本側にとって不平等な条約です。また、将軍の後継者問題でも、井伊直弼は、周囲を無視して独断で選んだのです。

 これらの決定に、有力な藩主たちは激しく非難します。しかし、井伊直弼は、反対意見の者たちを徹底的に弾圧するのです。これが「安政の大獄」と呼ばれた事件です。これによって、多くの有能な人たちが弾圧されました。今、放映されている大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の一人、吉田松陰も弾圧されたひとりです。ちなみに井伊直弼は、この恨みを買って暗殺されます。「桜田門外の変」です。

 さて、安政の大獄の弾圧対象者の一人に、京都清水寺の住職、月照という人がいました。僧侶でありつつ、政治活動をしていた人です。井伊直弼の政策に批判的でした。西郷とも活動を共にし、お互い尊敬し合った仲でした。西郷はこの月照を匿います。そして隠密の旅の末、故郷鹿児島に来ます。西郷は月照の保護を薩摩藩に懇願するのです。しかし、幕府の弾圧を恐れた当時の藩主、島津久光は、月照を、「日向送り」にせよと西郷に命じるのです。日向とは今の宮崎県です。鹿児島と宮崎の県境で、月照を斬り殺せ。これが日向送りの意味なのです。

 西郷は苦しみの境地に立たされます。藩主の命令は絶対です。逆らえば死刑です。でも、西郷は共に活動してきた月照を殺すことなどできません。月照も状況はよくわかっています。西郷の立場を思えば自分の運命を覚悟していました。そこで何と西郷は、月照との心中を決意するのです。西郷は薩摩藩ではなくてはならない存在です。しかし西郷は、どうしても月照を見捨てることができないのです。だから心中という決断をするのです。

 鹿児島の錦江湾を渡航中の舟から、西郷と月照は固く抱き合ったまま、入水したといいます。他の乗組員が必死に二人を救助します。結果は、月照は溺死。西郷は意識不明の重体だったのですが、三日後奇跡的に息を吹き替えしました。西郷は月照と一緒に死ねなかったことを生涯悔やんだといいます。西郷は「情の人」だといわれます。他者の悲しみや苦しみを観て、放っておけない人なのです。この世的な損得で動かないのです。


 イエスが考える栄光とは、西郷のように、人を愛する。そのためなら不利益を被ることも厭わない。それこそが「栄光」なのだ。すなわち、神がよしとしてくださることではないかということだったのではないでしょうか。

 十字架の場面を思い出して欲しいと思います。三本の十字架が立っていたのです。イエスの十字架の右と左には犯罪人が掛けられていたのです。国家反逆罪として十字架に掛けられていたのです。ローマの圧政に謀反を起こした彼らです。民衆の幸福のために生きた彼らなのです。

 イエスの右と左になるということは、たとえ自分が不幸になろうとも、損をしようとも、それどころか、殺されようとも、それでも、イエスの志を受け継いで生きることを厭わないということではないでしょうか。

 わたしたちは、信者になることで、きっと、報いがある。そう信じていると思います。また、そうでなくては理不尽だ。そう思うこともあります。しかし、実際には、信者になって、イエスに従うことは、いい事など何もなく、辛いことばかりの人生になるかも知れません。

 しかし、キリスト教信仰とは、それでも自分は、イエスを救い主と信じて生きることを決意することです。そこでは人間の思いや願いはまったくち砕かれます。それでも私たちはイエスに従っていけるのでしょうか。厭々、そんな宗教では無理です。従えません。そう思うのでしょうか。皆さんは、この問いかけに、どう向き合うのでしょうか。



[PR]
by buku1054 | 2015-05-04 18:13 | 礼拝メッセージ | Comments(0)

2015年5月3日坂下教会礼拝メッセージ

2015年5/3礼拝説教「苦しみの先に」マルコ10;32~34

 今日の箇所はイエスが自らの受難を予告したところです。しかも今回は三度目です。最初が8章、二回目が9章にあります。共通することは、殺されて復活するということです。しかし今回は、前回の二つのものよりも描写がより詳しくなっています。まるで自らが実際に体験したかのように語るのです。普通に考えれば、これほど自分の未来を詳細に予測することは難しいと思います。

 このことからここは「事後預言」ではないかとも解釈されます。つまり、後の世になって、イエスの受難の詳細を知っているこの福音書記者が、イエスがさもほんとうに受難を予告したように記したということです。したがってこれはイエスの言葉とはいえない。この福音書記者が創作したのだ。ゆえに意味がない。そう解釈される人もいます。

 でもそれでは、これ以上話すことが無くなってしまいます。私は、ここが事後預言なのか、そうでないのかというよりも、そもそもなぜ、受難予告という記事が三回もあるのだろうかということが大切ではないかと思います。この福音書記者は、イエスを理解する上で、あるいは、ここに福音の本質がある。そういうことから、この福音書記者は三度も記したのではないだろうかと思うのです。

 では、本文をたどってみたいと思います。「一行がエルサレムへ上っていく途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた」。この部分、原文により忠実に訳されている岩波書店の聖書ではこうなっていました。「さて、彼らはエルサレムに上る途上にあった。そしてイエスは彼らの先頭に立って進んでいた。そこで彼らはのべつ肝をつぶし、従う者たちは絶えず恐れていた」。どうでしょうかこちらの訳の方が、よりリアルさが伝わってきます。

 弟子たちは先頭に立って歩まれるイエスを見て、のべつハラハラ、ドキドキし、従う者たち、これはイエスの支持者たちでしょうが、絶えず恐れていたというのです。何というか、ここにはそれまでのイエスとは違うものを感じるのです。悲壮感漂うというか、ある覚悟をもって突き進むというか、鬼気迫るというか、ものすごいパッションを全身から発しているイエスという感じがするのです。

 それまでの経緯から、イエスの身に危険が迫っていることは、弟子たちも支持者たちも感じてはいたはずです。だから、ユダヤ当局の本拠地、ユダヤ教の総本山であるエルサレムへ行くなど止めた方がいい。イエスについてきた者たちはそう思っていたはずです。しかし、もはやイエスを止めることはできない。最初の受難予告の際、イエスを諫めたペテロでさえ、もうイエスを押さえることができない。そんな印象を受けます。

 私はここでイエスが先頭に立って進んだというのは、単純に事実としての位置を描写したのではなく、心理的というか心情的というか、そういうものを示しているのではないかと思いました。つまり、イエスはこのとき、弟子や支持者たちと生き様がかけ離れてしまった。遙か彼方まで進んでしまった、その違いというか、イエスの凄さが、イエスが先頭に立って進んで行かれたという言葉に込められているのではないか。そう感じるのです。


 さて、話は変わりますが、数年前に放映されたNHKの大河ドラマ「龍馬伝」を観て以来、私はすっかり幕末好きになりまして、幕末に関する本を読み漁っています。ちなみに私が好きな幕末の偉人は、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛です。最近は西郷のものを読み込んでいます。

 西郷隆盛、その名前は誰もが知っているところですが、歴史に興味がなければどんな人だったかは案外知られていないと思います。西郷は、あの内村鑑三がその著書「代表的日本人」の中に記した人物の一人です。内村は日本の歴史上、もっとも尊敬すべき偉大な人物の一人として西郷をあげています。

 ご存じの方もいると思いますが、西郷の座右の銘は「敬天愛人」です。天を敬い、自分を愛するように人を愛せよです。イエスの言葉とほとんど一緒です。事実西郷は、聖書を読み込んでいて、周囲にも勧めていたといいますから、聖書に影響を受けていたことはたしかでしょう。因みに、江戸時代はキリスト教が禁止されていました。明治5年になってその禁止令が解かれたのですが、それを為したのが西郷なのです。ともかく西郷は、この敬天愛人を実行していた人であったといえると思います。幾つものエピソードがありますが、時間がありませんから一つだけ紹介したいと思います。

 明治になり、新政府はものすごいスピードで新たな国家体制を築いて行きます。その中で大きな問題がありました。それはかつての武士たちの処遇問題です。明治になって武士たちはそれまで持っていた様々な特権を剥奪されました。そういう不満は各地で新政府への反乱という形で起こりました。佐賀、山口の萩、福岡の秋月など。実はこれには、新政府が挑発してわざと反乱を起こさせて、政府の正当性を担保にして叩くという意図があったのです。

 西郷のいる薩摩でも不満が燻っていました。このとき西郷は、政府の大臣の座を降り、故郷鹿児島に引き上げて農作業や後進の指導に当たっていました。政府にとって、西郷の存在は大きいものでした。またたいへん人望も篤かったので、西郷の支持者は薩摩だけではなく全国各地にいました。もし西郷の元に不満武士たちが結集すれば、政府としては苦戦を知られるかも知れないと考えていました。そこで政府は西郷を挑発して、早い段階で叩いてしまおうとするのです。

 しかし西郷はそんな挑発には乗りません。ところが西郷の弟子たちが挑発に乗って暴力行為に走るのです。西郷はその知らせ聞いて、開口一番「しまった!」と言ったそうです。政府は謀反者の差し出しを要求します。それは彼らの死刑を意味します。西郷は悩んだ末、政府の要求には応えず、政府と戦う決意をします。これが日本最後の内戦といわれる「西南戦争」です。


 決戦を決意したそのとき、弟子たちに対して西郷はこう述べたそうです。「私の命をあなた方に与える」。結果、政府の圧倒的な勝利。西郷は、故郷鹿児島の城山で腹と太ももに銃弾を受け、「もうここらへんでよか」と述べて弟子の一人に介錯を頼み自決しました。

 実は、政府側で西郷を挑発したのは、かつての盟友、幼なじみの大久保利通です。私は西南戦争をこう解釈します。当時、国の実権を握っていた大久保の思いからすれば、早く国家としての体制を確立しなくてはなりません。富国強兵、殖産興業です。そうでないと欧米列強諸国の餌食になるからです。

 その思いは西郷も同じです。まだそれが実現していない今の段階で、大きな内乱に発展したら、幕末が直面していた問題と同じく、すなわち欧米列強諸国が介入して、日本が植民地にされてしまうという懸念があります。もしもそうなっていたなら今の日本はありません。アジア、アフリカ諸国のような独裁者の支配と貧しい民衆といった状態になっていたはずです。内戦などしている場合ではないわけです。

 しかし一般の武士たちの不満はある。でも、力のある薩摩の武士たちさえ押さえれば何とかなると政府は確信していた。だから大久保は、故郷である薩摩を、西郷を潰そうとした。大久保はきっと辛かったはずです。故郷と盟友を葬るからです。西郷は、大久保の思いも、弟子たちの不満もわかっていた。全国的な内乱に発展する前にここで戦って終われば、国は安定体制となり、欧米列強の脅威からも逃れられる。西郷はそこまで読んだ上で政府と戦うことを決意したと思うのです。つまり、自分はこの戦いで命を落とすだろう。しかし、そのことで、この国が保たれる。「私の命をあなた方に与える」。この西郷の言葉は、目の前の弟子たちだけではなく、自分を潰そうとする盟友大久保利通にも、そして日本国民すべてをも含んでいたのではないか。私はそう思うのです。


 本文に戻ります。イエスは弟子たちを集めます。そして述べるのです。「今、私たちはエルサレムに上っていく。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する」。

 弟子たちにとって、また、イエスの支持者たちにとって、こんな言葉は聞かされたくはありません。栄光を夢見て何もかも棄ててついてきた弟子たちです。やっと自分を救ってくれる方と出会ったのにと信じてついてきた支持者たちです。殺されるなんてあんまりだ。彼らは皆、悲しみ、希望も消えそうな心境にあったのではないでしょうか。

 しかし、受難予告といわれますが、内容としては、厳密に言えば、単なる受難予告とはいえないと思います。書かれているのは、受難だけではありません。復活するということも記されているからです。岩波の聖書では、「復活する」が原文通りの意味で「彼は起き上がらされるだろう」となっています。つまり、神はイエスを見捨てないということです。

 イエスは、自分が殺される運命にあることはわかっていたはずです。イエスにとってそれは恐いことであったに違いない。ゲッセマネの園での祈り、「死にたくない」がそれを証明しています。しかし自分が命を落とすことで、新たな何かがはじまるのではないか。神はきっとそうしてくださるに違いない。そう信じていたのではないでしょうか。だから復活するのだ。起き上がらされるのだという言葉が添えられたのではないでしょうか。

 私は、西郷隆盛とイエスとが重なるのです。西郷の言葉、「私の命をあなた方に与える」。これはイエスの言葉でもあったのではないかと思うのです。悲嘆に暮れる弟子や支持者たちに、私の命をあなた方に与える。この命は、必ずあなたがたの中で再び芽を出し生き始める。そしてあなたがたは希望を抱きながら人生をはじめるようになると。


 事実、イエスの死をもって何もかも終わりになったのではなかったのです。弟子たちは再起し、教会という形でイエスの志を受け継いでいくのです。そのときから2000年、教会は今もあります。確かにヨーロッパや日本では、教会は衰退しています。けれども世界規模で観れば、まだまだ教会は盤石です。

 なぜなら、教会にはイエスの命が与えられているからです。どんな不条理や悪にも勇気を持って立ち向かい、常に弱い者に寄り添い続けたあのイエスの命が、教会に、そしてそこに連なる私たちの魂に生きているからです。この命が受け継がれているゆえに、この世から教会が無くなることは絶対にない。私はそう確信しています。

 わたしたちは、伝道が振るわないこの日本で、しかもさらに悲観的にならざるを得ないこの農村で、教会を支えています。ときに、もうだめだ。そんな思いになることもあります。しかし、私たちには、イエスの命が与えられている。そのことを信じ、希望を棄てず、 できることを地道に為して行く。そうありたいと思うのです。それが、私たちのために命を与えて下さったイエスに応えることではないでしょうか。


[PR]
by buku1054 | 2015-05-03 18:51 | 礼拝メッセージ | Comments(0)