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人生は短い

娘の未来(みく)の友人は、今、娘と一緒にカナダに留学中だ。

彼は、アメリカの老舗ロックバンド「エアロスミス」の大ファンである。

そんなことからわたしもファンになった。

滅茶苦茶かっこいい!!

リードボーカルのスティーブン・タイラー。彼はミック・ジャガーによく似てる。口が大きい。

そのタイラーの言葉が気に入った。

人生は短い

規則は守るな

ゆるしは速やかに

キスはゆっくりと

愛はまじめに

笑うことを我慢するな

最後に微笑むことができたらそれでいい

言葉通りでなく拡げて味わって欲しい。

ロックを馬鹿にするなよ!

クリスチャンの皆様!!






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by buku1054 | 2015-07-30 18:54 | その他 | Comments(0)

円空

岐阜県の教会に赴任したことで得られた収穫の一つ、円空と出会えたこと。

江戸時代前期の僧侶であり、修験者であり、作仏師である。

東日本を中心に行脚し、民衆の悲しみや痛みに寄り添った。

作仏は、その証である。

病に苦しむものには「薬師観音」。子供を失ったものには「子安観音」を彫った。

キリスト教では、これは偶像礼拝となる。

しかし、大切なことは、苦しむ者、悲しむ者に寄り添うことだ。

イエスもそうだった。

宗教が違う。方法が違う。

人間はほんと狭い了見で生きている。

宗教者もそうだ。

もっと広い精神に立ってもらいたい。

わたしにとって、イエスと円空は共通のところに立っていた。

そう信じている。


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by buku1054 | 2015-07-10 17:15 | その他 | Comments(0)

キース・リチャーズ

わたしの好きなミュージシャンの一人に、キース・リチャーズという人がいます。
イギリス出身のロックバンド、ビートルズと並ぶ「ローリング・ストーンズ」のギタリストです。

彼は破天荒な人です。麻薬に溺れ、人生を棒に振るかのような生活もしました。

多くのロックミュージシャンが麻薬で命を落とす中で、彼は生き延びました。

それは、彼の音楽にかける情熱だったと思います。

キースは、右手にドクロリングをつけています。

一般的に見たら趣味が悪いといわれるでしょう。

しかしキースは、なぜドクロのリングをつけているかについてこう述べています。

「人間一皮むけば皆同じ、自分への戒めにしている」。

誰もが皆尊い存在。しかし、頭ではわかっていても、現実にはそのことに反したことを考えたり、行っている。

だからこそ、

自分への戒めにしなくてはならない。

そんなキースの思いを感じます。




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by buku1054 | 2015-06-27 15:23 | その他 | Comments(0)

岡林信康

岡林信康

彼は1946 年生まれですから団塊の世代なでしょうか。山谷ブルースで世に出て「フォークの神様」と崇められた歌手です。彼は牧師の息子で、自身も同志社大学神学部に席を置きますが、キリスト教の限界を覚え退学します。その後は歌手として生きて行きます。しかし、その過程は挫折と試行錯誤の年月です。フォーク、ロック、演歌と進み、その果てに日本独自のジャンルとして「エンヤットット・ミュージック」にたどり着くのです。西洋と東洋の融合。民族音楽の肯定。これがエンヤットットの意義でしょうか。

こんな岡林、わたしが主任を務める坂下教会がある「坂下町」に約一年住んだこともあり、何かしらの縁を感じています。数年前、彼が名古屋のライブハウスで2年続けてコンサートをしました。それに行きました。最初の年は満員でしたが、次の年は閑散としていました。宣伝がうまくいかなかったのでしょうか。ライブの質は優れていると思います。感動します。

岡林さんはライブの中で次のような言葉を述べました。

「諸君、沈むことを恐れてはならない。なぜ、沈むのか。それは浮かび上がるためなのです。これは宇宙の法則なのです」。励まされました。聖書の復活思想がここにあるのです。

また岡林さんは、人間の幸福についてこう述べていました。

「人間の幸せとは、どれだけ良い人間関係を持っているかどうかである」。

腑に落ちました。人間に限らず、存在するものはすべて「関係的存在」。

幸せかどうかは、ここにある。


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by buku1054 | 2015-06-11 18:17 | その他 | Comments(0)

中部学院大学・名古屋学院大学礼拝でのお話し

さて、皆さんはこの大学を選ぶ際、ここがキリスト教主義の大学であることを知ったと思います。そのとき、どんな思いを抱きましたか。キリスト教の信者である方は、これ幸いと思ったはずです。でも、信仰を持っていない方、ほとんどの方がそうだと思いますが、もしかしたらキリスト教を押しつけられるのかな?洗脳されるのかな?そんな心配を抱いた方もいるはずです。ですから、こうしてわたしの話を聞くことも、なんだか抵抗があるな。嫌だな、面倒だなと思う人もいるはずです。

ですから、ほんとうは聴きたくないけど、授業の一環だから一応聴きますでもいいです。でも、もしも、今日の話の中で、ほんの少しでも感じることがあったら、ありがたいです。

さて、キリスト教だけでなく、仏教、イスラム教、ヒンズー教といったように、この世にはあまた宗教があります。わたしは、それらの宗教の中で、何と言いますか、とても常識では敬遠したくなる、怪しい宗教といったものを除いた、いわゆる伝統宗教が目指していること、その教えは、本質において、そんなに違わないのではないか。そう思っています。もっともこんなことを言いますと、他の牧師先生からお叱りを受けるかも知れません。私が尊敬するある牧師は、次のようなことを述べていました。

「信仰を<まごころ>と言い換えたい。それは、ほんとうのことをほんとうと認める心である。まごころの第一の意味は、人間は自分の力で自分を生んだのでなければ、生きているのでもない。〃生まれた〃ということ自体、受動態である。生かされて生きているということがすべての人間の基本姿勢である。

そして、第二の意味は、他者もそうであることに気がつくことである。私も神の子、他者も神の子。そのことが心の底からわかること、それが信仰の根底的意味ではないだろうか」。この牧師の言葉は腑に落ちます。要するに、自分が存在する、その根拠は自分にはないということです。

皆さんどうでしょうか。皆さんが今ここにいる。それは皆さんの努力があったからでしょうか。もちろんそうです。努力無くして大学まで進むことはできません。でも、皆さんが努力する以前に、この世に生まれ、ここまで生きてこなくては、今はありません。ここまで生きてきたことは、すべて皆さんの力でしょうか。

そうではないですよね。そもそもお父さんとお母さんがいなければ、あなたがたはいないわけです。それと、あなたがたが生きるためには、食物となる動植物の命がなければなりません。また、私たちの生きる大前提である、この地球がなくてはなりません。太陽や空気がなければ私たちは生きられません。他にもあなたがたをこれまで支えた学校の先生や親戚の人や地域の人や兄弟姉妹や、友人、他にも気がつかない多くの人たちによって今のあなたがたがあるのです。

これはほんとうのことです。特定の思想、信条、信仰であっても、このことは否定できません。キリスト教でも仏教でも同じです。したがって、今ここで,自分がいるということは、奇跡と言えるのではないでしょうか。何か一つでも欠けたら、今自分はいないのです。

ですからここにいること、今生きていること、それは、とてつもなくありがたいことなのです。感謝しかありません。これを伝えることが、宗教の役割なのかも知れません。私は皆さんがクリスチャンになったら嬉しいです。でも、それよりも大切なことは、今ここに生きている。それは奇跡であり、感謝なんだと思えることではないでしょうか。

先ほど読んでいただいた聖書の言葉に「神を畏れ、その戒めを守れ」これこそ人間のすべてとありました。これは言い換えると、こうなると思います。「神を畏れ」とは、ほんとうのことを認めなさいということです。それは、私たちは誰もが生かされているのだ。このことにおいて違いはない。ゆえにすべての者は尊い存在だということです。「その戒めを守れ」とは、だからお互いに大切にし合ってゆくということです。これが人間にとってもっとも大切なことだということではないでしょうか。


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by buku1054 | 2015-06-10 18:58 | その他 | Comments(0)

小林一茶

小林一茶は、松尾芭蕉、与謝蕪村と並び江戸時代の三大俳人と称せられる。

北信濃の農民の長男。3歳で生母と死に別れた。その後、継母に虐げられ、

見るに見かねた父親が15歳のとき江戸に奉公に出した。

しかしどこでもうまくいかない。転々とした。

20歳の時俳諧に出会う。

才能を認められるが、流浪の俳人に過ぎず生活は安定しない。

遺産配分で、義母兄弟と骨肉の争いを経て、故郷、北信濃の柏原村に戻る。

52歳で初婚。4人の子どもをもうけるが、すべて死す。

妻も37歳で没す。

再婚もうまくいかず、30歳も年下の女性と再々婚。

再度の脳梗塞にもかかわらず、俳諧を生きる。

最後の幸福も、家が焼け、土蔵暮らし。

三度目の脳梗塞の発作にて永眠。

翌年、彼の一粒種、女の子が生まれる。

私生活では恵まれなかった一茶。

それゆえに彼の俳句には、小さな者への愛情がある。

「我と来て、遊べや、親のない雀」





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by buku1054 | 2015-03-18 18:22 | その他 | Comments(0)

龍馬

幕末の志士、坂本龍馬のファンである。

NHKの大河ドラマからだからファン暦は浅い。

でも、20冊以上の彼に関する本を読んだ。今も読んでいる。高知へも行った。

高知以外にも、折にをみてゆかりの地を訪ねている。

魅力的な人だ。

どこが魅力なのか。

自由、束縛を嫌う、枠に拘らない、柔軟さ、行動力、思いやりの人、意外にあくどい面も持つ、リアリスト、明るいなどなど。

クリスチャンはこの逆の人が多いような気がする。

キリスト教に批判的な立ち位置にあるわたしにとって、龍馬は魅力的なのだ。

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by buku1054 | 2015-02-24 17:57 | その他 | Comments(0)

祈り

祈り

宗教に祈りは欠かせない。祈ることが宗教の宗教たるゆえんだといえる。

基本的には、自分の願いが叶って欲しい。そういう思いで祈る。

初詣の祈りはまさにそうであろう。

切実な祈りもある。病に苦しむ者の祈りはそうだ。

祈りの根本は、自分の努力や能力ではどうすることもできない事態に相対したとき、

わたしたちを超えた「何か」に委ねることではないだろうか。

委ねるとは、その結果がどうなろうとお任せすることではないだろうか。

そこまで信頼して祈っているのか。

おそらくそうではあるまい。

しかし、それでも祈らずにはいられない。

それはなぜか?

きっと、わたしたちに祈りをさせている何かがあるのだろう。

祈ること自体、その何かとつながっている証ではないだろうか。



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by buku1054 | 2015-02-13 18:21 | その他 | Comments(0)

キリスト教

キリスト教は、2000年前に生きたナザレのイエスという人物を、救い主(キリスト)と信じる宗教だ。

そこでは、イエスの十字架の死が、人類の罪を贖うことであり、復活が死に勝利したということを信じることである。

ならば、イエスの生前の生き様は意味をなさなくなるのではないか。

イエスの生き様が十字架へとなっていった。そうすると、十字架と復活という教義はどうなるのだろうか?

キリスト教って難しいね?!



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by buku1054 | 2015-02-07 16:25 | その他 | Comments(0)

イスラム国

イスラム国による蛮行が世界を揺るがしている。

狂気の集団である。許し難い行為を行っている。

しかし、なぜ彼らがこのような行為を行うのか。
その根本原因がいわれていないような気がする。

そもそもはブッシュ政権による大義名分のないイラク戦争が原因だ。

さらにいえばアメリカのグローバル経済と欧米諸国の格差社会と差別社会が現況だと思う。

それの反省なきままでのテロとの闘い、テロに屈せるなは、欧米の非を棚上げした考えだ。

欧米諸国の悔い改めこそが、この問題を解決することではないだろうか。

しかしそれは望み薄い。

世界は滅びに向けて進んでいる。

いっそのこと滅びた方が良いのかも知れない。

わたしは思う。ホモ・サピエンス(人類)が滅びることが、地球を救う。

滅びの神学を提唱したい。





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by buku1054 | 2015-02-04 18:51 | その他 | Comments(0)