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2015年8月2日坂下教会礼拝メッセージ

2015年8/2礼拝説教「許可が必要ですか」マルコ11:20~33

 前回は、小見出しに「神殿から商人を追い出す」と題が付けられたとても有名な箇所を学びました。ただし実際にイエスが追い出したのは、神殿体制と癒着して利益を貪っていた商人たちだけではありませんでした。商人から儀式用の生け贄を購入していた参拝者たちも追い出したのです。つまり、信仰的に純粋な民衆も追い出したのです。このことから考えると、ここは昔から言われてきた「宮清め」ではなく、むしろ神殿体制そのものを否定した「宮壊し」ではないだろうかと読みました。

 さらに加えて、神殿での罪の赦しの儀式を経なければ神と結ばれないということではなく、人は皆、誰もが他者のために祈りを献げることができるゆえに、神と結ばれているのであり、パウロが言うように人は皆神殿だということも結論として学びました。

 今日はその続きです。二つの段落を一気に読みます。そもそも11章全体がひとつのまとまった物語だと言えますので区切らないで読むことにしました。最初の段落は、前々回の「いちじくの木を呪う」の段落の話の後日談といえるものです。イエスの呪ったいちじくの木が枯れていたというのです。

 イエスは枯れたいちじくを見て、「神を信じなさい。はっきり言っておく、だれでもこの山に向かって、立ち上がって、海に飛び込めと言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、その通りになる」といいます。これは単に信仰のありようについて述べられた言葉ではなく、具体的な背景の上で述べられたものと思われます。

 イエスは「この山」と述べています。どこかにある不特定な山ではありません。「この山」なのです。ある特定の山を指して、この言葉を述べているのです。イエスは神殿で大騒ぎを起こしました。その翌日、再びベタニア村からエルサレムを目指して向かう途中でした。その時、前日にイエスが呪ったイチジクの木が枯れていたと記されていたわけです。

 貧しく弱い者たちが隅っこに追いやられていたベタニア村、そんな弱い彼らを踏みつけてエルサレムの神殿体制。それに対して激しい怒りを向けたイエス。こうした一連の状況の直後に、イエスは言われたのです。「この山に向かって」云々。エルサレム神殿はどこに建っていたのでしょうか。シオンの山です。つまり、「この山」とは、エルサレム神殿が建っていた「シオンの山」のはずです。さらに言えば、その山に立つエルサレム神殿体制のことであり、もっと言うなら、その背後にある、ローマ帝国と結託していたユダヤ当局のことではないでしょうか。

 イエスは言うのです。「この山に向かって、立ち上がって、海に飛び込め」。ここは原文に忠実に訳してある岩波書店の聖書では、「引き抜かれて、海に投げ込まれてしまえ」。となっていました。新共同訳とはニュアンスがかなり違います。イエスの言葉には怒りが込められています。

 イエスは「この山」、すなわち弱く小さな者たちを、神という名を利用しながら踏みつけていたこの神殿体制と背後にあるユダヤ当局から、その権威や権力が引き抜かれ、海に投げ捨てられてしまえ、疑いなく心から祈るとき、その祈りは叶えられる。そしてその祈りを祈った時点で、それはすでに叶えられたものと信じなさいというのです。事実、紀元70年頃のローマ帝国との第一次ユダヤ戦争で、エルサレム神殿は崩壊します。ユダヤ教は以後神殿宗教ではなくなるのです。

 次の27節以下の段落に進みます。イエスの一行がエルサレムに到着します。場所は再び神殿境内です。すると、ユダヤ当局の者たちがイエスのところにやって来るのです。通常は、律法学者、祭司長と一括りに表現されることがほとんどなのですが。ここでは「長老」という存在も同時に記されています。いずれも、ユダヤの政治、経済、宗教の最高決定機関サンヘドリンの構成メンバーです。つまり、イエスの存在がユダヤ当局にとって大問題となっていたわけなのです。


 彼らはイエスに向かって、何の権威でこんなことをするのか?誰がその権威を与えたのか?と詰め寄るのです。それに対してイエスは、逆に彼らに質問をするのです。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのかを答えようというのです。質問の内容は、ヨハネの洗礼は天からのものだったのか、それとも、人からのものだったのかというものでした。バプテスマのヨハネが行っていた洗礼運動は、正統的なユダヤ教からはみ出した異端的な活動でした。ですから彼らはヨハネの洗礼など認めていません。

 したがって、天からのもの、つまり「神からのもの」と答えられるわけがありません。逆に人からのものと言った場合、群衆を恐れたと言います。群衆はヨハネをほんとうの預言者だと信じていたからです。預言者は神から遣わされた者と信じられていました。結果として彼らはわからないと答えます。不利な立場に追い込まれることを避けたのです。するとイエスは、だったら自分も何の権威でこのようなことをするのか言わないとあるのです。どうも何が言われているのかよくわからない箇所です。

 今日の説教題を「許可が必要ですか」と付けました。これは、「権威」と訳された言葉の本来の意味が「許可」ということからつけたのです。そもそも「権威」とは、他者を支配、服従させる力を意味します。数年前に亡くなられた精神医学者のなだいなださんの定義の方がよりわかりやすいと思います。なださんは、権威とは、自発的に言うことを聞くようになる力といいます。因みに似たような言葉で「権力」がありますが、なださんは、権力とは、強制的に言うこと聞かせる力といってます。

 ただ、言いましたように、権威と訳された言葉は、原文では「許可」です。岩波書店の聖書では「権能」と訳してありました。権能とは、あるものをすることができる資格ということです。わたしは原文にしたがって許可にしたのですが、権能とニュアンス的には近いです。要するに何の根拠があってというか何の理由があって、こんなことができるのだということです。この箇所でのポイントは、ユダヤ当局の人たちが、根拠だの理由だの資格だの権威だの、そうしたことに拘っているということではないでしょうか。

 彼らはイエスに対して「何の権威で、このようなことをするのか」と問います。「このようなこと」とは、神殿での暴力行為です。もう少し言えば神殿体制の否定ということでしょう。彼らにとって、聖なる存在である神殿、そこで営まれる儀式は神の権威や許可があってであり、それを否定するなど、あるまじき行為だということなのでしょう。ですから、否定するなら、そこには当然、神の権威権能があってのことではないかということなのです。

 イエスはハッキリとしたことは答えないのですが、わたしはここでイエスの伝えたかった意味は、彼らが権威とか資格とか根拠とか、そういうことに拘ってほんとうに大事なことが見えなくなってしまっていた。そのことへの痛烈な批判だったのではないかと思ったのです。

 1867年(慶応3年)、隠れキリシタンとして信仰を守り続けた浦上村、現在の長崎市の村民たちが江戸幕府の指令により、大量に拷問を受け棄教した弾圧事件がありました。「浦上四番崩れ」と呼ばれる事件です。このとき81人の信徒が弾圧を受け棄教したのですが、ただ一人だけ棄教しなかった信徒がいました。高木仙右衛門という人です。この人は明治32年まで生きて教会を指導した方です。

 幕府の尋問官が「邪宗門はご禁制になっていると知らなかったのか」と問いただしたとき、仙右衛門はこう答えたといいます。「もとより存じておりました。…しかしこの教えは本当に優れて立派な教えで、ただ善いことばかりを教えるのです。浦上はキリシタンの教えがわかってから見違えるほど変わってまいりました。喧嘩もせず、大酒も飲まず、よく病人を看てやります。野良仕事にも骨を惜しまず働きます。」仙右衛門は、これらの良き業に果たしてお上の許認可がいるのかと逆に問うたのではないでしょうか。そしてたとえご禁制であっても、自分はこの生き方を変えるつもりはないと堂々と語ったのです。

 イエスの神殿批判、神殿そのものの否定とは、神の権威などといって威張り、自らを神の使者だと正統化して、実際には民衆の差別化と格差社会を助長していたことへの非難であり否定です。

 人が理不尽な扱いを受けず、活き活きと生きられる。そのためならば、そこに誰かの許可など必要無い。神の権威といったことも必要無い。すでにその想いや願いや希望のうちに神が働かれているのだ。それが、ここでのイエスの答えだったのではないでしょうか。

 今日は教団が定める「平和聖日」です。人は、武器商人と呼ばれる者を除けば、ほとんどが「平和」を望んでいるはずです。ましてわたしたち信仰者は当然です。でもそれは、信仰者だからなのでしょうか。「平和をつくりだす者は幸いだ」とイエスが言われたからなのでしょうか。そうではないと思います。平和を望み、平和をつくろうとするのに、権威も資格も許可も信仰もありません。それは人として当然のことです。生きとし生けるものとして、わたしたちの魂に刻み込まれた精神です。本質です。いのちそのものです。

 権威、権能、許可、根拠、理由、いろいろあります。しかし、そうしたことに拘ったとき、わたしたちは大事なことを見失う危険がある。大切なものを見落とす失敗をする。今日の箇所のイエスからそう伝えられたように思うのです。


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by buku1054 | 2015-08-03 17:56 | 礼拝メッセージ | Comments(0)

2015年7月26日坂下教会礼拝メッセージ

2015年7/26礼拝説教「人は皆、誰もが祈りの家」マルコ11;15~19

 今朝は、昨年から継続して読み進んでいますマルコによる福音書に戻ります。辺境の地ガリラヤで人々の救済活動をしていたイエスと弟子たち、また、その支持者たち。彼らの一行は、ユダヤの政治、経済、文化、生活、宗教の中心地であったエルサレムへとやって来ました。

 今日の前の箇所、11節に「イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った」とあります。イエスがエルサレムで真っ先に向かった場所が、神殿だったのです。イエスは神殿の様子を見回しながら、いったい何を思ったのでしょうか。それが、12節以下の段落「いちじくの木を呪う」と題がついたところ、前回学んだことです。それは、人々を搾取し差別しているにもかかわらず、自らを神の正義の側に立つものと自負していた神殿体制、それがユダヤ教の根幹であったわけですが、その欺瞞に対するイエスの厳しい批判でありました。

 さらに言えば、社会から理不尽に小さくされ、弱くされたベタニアの人々を支援したイエスでした。そのことは「イエス飢え給う」、新共同訳では「イエスは空腹を覚えられた」という小さな言葉に示されていることも学びました。イエスは再びエルサレムへと向かいます。行き先は決めていました。否、そこにしか行かないとでもいうような覚悟があった。そう感じます。イエスはきっと、ベタニア村で底辺を這いつくばってしか生きられない人々の悲しく辛い思いを背負いながら、今日ここで、自らの将来が決まるかも知れない。そんな覚悟をもって、再び神殿境内へとやって来た。そう思うのです。


 四つの福音書すべてに記録されたこの出来事、それゆえイエスを語る上で避けて通れないこの出来事を、わたしたちは今日読み進みます。この出来事こそ、イエスが殺害されるその根拠となったことなのです。18節にそのことが確りと記されているのです。「祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った」。ユダヤの権力の中心であったこの人たちは、何故イエスを殺そうとしたのでしょうか。何故そんなにもイエスを憎んだのでしょうか。そのことをご一緒に考えてみたいと思うのです。


 「それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された」。

 神の子、救い主と信じられ、愛と平和を求める方といわれたイエスには、ここで記された行動は似つかわしくないものです。人を傷つけてはいませんが、明らかに暴力行為です。台をひっくり返された商人たちやそこにいた参拝者たちはさぞ驚いたはずです。突然、気が狂った男が飛び込んできたといった感じでしょうか。いったいこいつは何者だ。そんな空気が辺りを覆った。そんな印象を受けます。イエスは何故このような行動に及んだのでしょうか。

 「売り買いをしていた人々」とは、神殿で祭司が執行する罪の赦しの儀式に必要な生け贄となる、動物や植物を売っていた商人、そしてそれを購入する参拝者です。神殿において罪の赦しを受けることは、当時のユダヤ人にとって最も大切なことです。神の掟である「律法」これを守ることで神の救いと祝福が与えられる。逆にいえば、守れない者は罪人で永遠の呪いに落とされる。そう信じることが当然の社会でした。


 律法の規定を完全に守れる者などいません。なにしろ全部で613もの規定があったというのですから当然です。ですから人々は、律法違反の罪を赦してもらうため、生け贄を献げることで罪赦されるという儀式に参加せざるを得なかったのです。このような文化とは無縁のわたしたちからすれば、滑稽に映るでしょうが、この文化の渦中にいる者にしてみたら、何の疑問も起こらないわけです。しかし、だからこそ、そこに歪みが生じるのです。

 生け贄とされるのは、牛や羊といった動物が主ですが、植物もありました。今日の箇所では「鳩」が記されていますが、鳩は、牛とか羊などが買えない貧しい者たちの代用として許されたものでした。そもそも参拝者自らが生け贄を用意してこなかったのかという疑問もあるでしょう。そこなのです。生け贄の儀式に用いられる動植物は、完全な状態でなくてはならないという定めがありました。どんなに小さな傷すら許されなかったのです。

 参拝者が自ら生け贄を用意しても、祭司は何かと難癖を付け追い返します。そこから神殿体制が契約した業者が売る生け贄のみが許可されるというシステムになっていったのです。神殿側は、手数料を取る。業者はここで利益の安定を確保できるというわけです。参拝者にとってはたまりません。おそらく世間の相場以上の金額を支払わなくてはならなかったと思います。鳩しか買えない貧しい者からも搾取する。ここに神殿体制の歪みがあったわけです。

 また、両替人とは、売り買いに用いられる貨幣は、古代のユダヤの貨幣のみという定めでした。ですから参拝者は、生け贄を購入する際に、先ず普段用いている貨幣を両替する必要があったわけです。おそらくここにも神殿と両替商との癒着があったと思われます。

 イエスはこうした神殿側の理不尽さに怒りを覚え、商売人たちの台や腰掛けをひっくり返したということなのです。これが「宮清め」と呼ばれるこの箇所の意味なのだ。そう読まれてきました。たぶん多くの者は、今もこのように読むのではないでしょうか。わたしもずっとそう思ってきました。

 しかし、改めてここを読んでみて気がついたことがあります。それは、イエスが追い出したのは、神殿側と契約を結んでいた商人たちだけではないということです。イエスの怒りの矛先は、罪を赦してもらうために神殿に赴いた参拝者たちにも向けられていたのです。そう考えると、これは「宮清め」というよりも、むしろ「宮壊し」と言った方が良いのではないかと思うのです。神殿という存在そのものへの否ということです。

 今日の説教題を「人は皆、誰もが祈りの家」と付けてみました。これは、17節のイエスの言葉から導かれたものです。イエスはイザヤ書の言葉を用いて、ここで一つのメッセージを語ったのです。そしてこのことこそが、イエスが殺される理由になったのではないか。わたしはそう思いました。暴力行為もユダヤ当局を怒らせたでしょうが、それ以上にイエスが語ったこの言葉が問題だったと思うのです。

 イエスは言います。「わたしの家は、すべての国の人々の祈りの家と呼ばれるべきである」。「わたしの家」とは何のことでしょうか。ルカ福音書によれば、イエスは12歳の時、両親と一緒に神殿参拝に行きました。そこで迷子になります。両親が必死に捜索した結果、イエスは神殿にいました。その際イエスは両親に向かって「わたしが自分の父の家にいるのはあたりまえだということを、知らなかったのですか」と述べるのです。ですから、「わたしの家」とは「神殿」です。

 神殿は、すべての人の祈りの家と呼ばれるべきである。イエスはここでそう告げるのです。どういうことなのでしょうか。この意味を解きほぐすヒントとなる言葉をパウロが述べています。第一コリントの3章に次のような言葉があります。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」。わたしたちすべての人間は、神殿であり、神の働きがわたしたちの中にあるというのです。つまり、人間とは、神の神殿。神が働かれているの場所なのだということです。その証はいったい何か。それは祈りである。これがイエスが伝えたかったことではないでしょうか。

 わたしの好きな音楽家、山下達郎の歌で「MY MORNING PRAYER」という作品があります。訳すと「わたしの朝の祈り」となるのでしょうか。この歌は元々某テレビ局、朝の情報番組のオープニングソングとして作られたものです。しかし完成後すぐ、東日本大震災が起きました。山下達郎は、直ぐに作り替えることを申し出たといいます。作り直された歌詩の内容の一部を紹介します。

「夜明けが瞬いている/あなたを照らすために/ 小さな想いがある/あなたに届けるために/ 今日という日が/昨日より/少しだけ優しく/あなたを包んでくれることを祈って/これがわたしの祈り/わたしの朝の祈り 

溢れるその悲しみ/僕には消せないけど/せめてこのメロディー/あなたを励ませたら/ ひとときでも/耳を澄ませ/心を委ねたら/微かな希望の音を聴いておくれ/これがわたしの祈り/わたしの朝の祈り」

 山下達郎は、東日本大地震の被災者、家族を失った者、故郷を失った者、そうした者たちに、音楽という自分ができる手段を通して励まし、慰めようとしました。それがこの作品です。作り直されたこの歌を聴いた番組のスタッフは、全員涙を流したといいます。山下達郎が作ったこの歌は、彼の祈りです。被災者たちに向けられた祈りです。他者の悲しみや苦しみに向けられた祈りです。わたしたちも、悲しむ誰かのために、辛い思いにいる誰かのために祈りを献げます。その祈りを献げるそのことこそが、わたしたちが神殿であることの証、神がわたしたちの中で働かれていることの証、もっというならば、神とわたしたちとが結ばれていることの証ではないでしょうか。

 神殿に赴き、定められた儀式を敢行する。そうではくては、神との断絶を解くことはできない。神の祝福と恵みをいただけない。そうした信仰の理解が当然であったこの当時、イエスはその神殿にやって来て、わたしたちは誰もが皆、他者のために祈りを献げられる。それゆえに神と結ばれた存在だ。神殿だ。そう言いきったのです。

 まさに宮壊しです。神殿体制そのものを、ユダヤ教の根幹そのものを否定したのです、この言葉。これがイエスの運命を決定づけてしまったのです。人は皆、誰もが祈りの家。わたしたちが誰かのためにしてあげられる最低限の行為である「祈り」。誰かを直接助けることはできないけれど、そこで献げられる祈りが、祈る対象に伝わるかも知れない。祈りの力が、具体的な何かを引き起こすかも知れない。

 祈りは、わたしと誰かを結ぶことに他ならない、それゆえ、祈ること事態、神とわたしたちとが結ばれていうことの証ではないだろうか。なぜなら、イエスは、神を愛することは、同時に人を愛することだと述べているからです。今日の箇所、イエスがそう伝えたであろうこのメッセージを心に留めて、また新たな週の旅路をはじめたいと思います。


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by buku1054 | 2015-07-27 16:23 | 礼拝メッセージ | Comments(0)

2015年7月5日坂下教会礼拝メッセージ

2015年7月5日礼拝説教「我らは神の中に生き、動き、存在する」
使徒17:26~31

 今朝は、継続して読み進んでいますマルコによる福音書を離れましてお話ししたいと思います。

 南米チリの沖合、南太平洋にイースター島があるのは、皆さんもご存じだろうと思います。住む人はなく、モアイと呼ばれる大きな顔の巨大な石像群があることで有名な謎の島です。

 この島は、「世界の七不思議」の一つとされてまして、様々な方面から研究と調査がなされてきました。その結果、たいへん重要なことがわかったそうです。元々この島の祖先は、太平洋全域に散らばっていたポリネシア人で、紀元5年から6年にかけて渡ってきた人たちだったといいます。イエスが生まれたのが、定説では紀元前4年頃といいますから、それから約10後のことです。その数は、僅か数十人程度だったようです。

 この人たちは、この島に非常に高度な文明を築き上げたそうです。ところが16世紀半ばですから、時代としては宗教改革の少し後です。人口が7000人以上にも増加したために、食べ物から樹木にいたるまですべての資源を使い尽くしてしまったということでした。小さな島だったからです。そして最後は、利益を奪い合い、部族間の紛争に発展して滅びたということです。

 内外の環境学者たちは、イースター島のこの悲劇は、環境破壊が人間を滅ぼした一つのサンプルとして今後の人類の未来を暗示しているのではないかと受けとめたようです。しかし多くの学者が警告するポイントは、人間の飽くなき利益追求が、人類を滅亡させるというのです。


 テレビドラマ「北の国から」の脚本家で有名な倉本聰さんがこんなことを述べていました。「東日本大震災直後は、皆節約したり、今までの消費中心の生活に疑問を持った。しかし半年も過ぎたら、元に戻ってしまった。原発推進派も脱原発派も、結局は同じ穴のムジナではないかと思う。現在の生活を支えるエネルギーを供給するという前提があるからだ。なぜ、あの大震災を機会に、日本人は考えなかったのか。テレビは24時間放映している。コンビニも24時間開店している。そんなあり方が良いのか。そのような考えを進めることに、日本は結局いかなかった」。倉本聰さんの見解は本質を鋭く突いていると思いました。

 さて、もう少し世界の現状についてお話しします。毎年世界で日本の九州の面積あたる地域が砂漠化していることです。そこでは当然農業は出来ません。また、地球温暖化で海面が上昇し、南太平洋の島々がいずれ海に没してしまうと言われています。すでに海面が上がってきたため井戸が使えなくなってきた島もあるそうです。オーストラリアやニュージーランドに全島民の移住交渉をはじめた島国もあるようです。

 少子化が進むわたしたちからするとイメージできないのですが、世界の人口が爆発的に増えています。現在世界の人口は約70億ですが、毎年平均すると8000万人増えているそうです。このままだと、2020年には80億、2050年には100億、22世紀には150億人と予測されています。少子化が深刻な我が国にいるとこの現実はピンときませんが、これが世界の現状なのです。

 これだけでも人類の未来が暗澹たるものであるかが想像できます。砂漠化などによって農業が著しく衰退する。人口が爆発的に増加する。まかなう食料が追いつかない。やがて奪い合いになる。戦争になる。核の使用。人類の滅亡。そんなシナリオが描けます。現代のいろんな事実を組み合わせると、まさに地球全体がイースター島なのです。ですから学者たちは、今のままで行けば、近い将来人類は破局を迎えるだろうと言います。とりわけ日本は、食料の6割~7割、木材の8割、水産物の4割、地下資源やエネルギーの9割を海外に依存している国です。したがって日本の破局は避けられないということです。

 環境保護のために調査、研究を行い、世界に向かって警告を発信し続けている方々で、環境学者石 弘之さんと環境考古学者安田喜憲さんがいますが、彼らによると環境破壊を救う手だては、嘗て古代に人類の間で起こった「精神革命」の精神をもう一度復活させることだと述べています。

 どういうことかというと、イエスや仏陀が起こした宗教活動のことです。で、彼らが言うには、この精神革命は突き詰めれば「利他の精神」だと言います。すなわち、他者が平和に生きられること、それも、人間だけでなく、この地球に生きる生きとし生けるものが大切にされるということです。

 けれども彼らは同時に、人類が「利他の精神」を復興するには、破局を迎えなくては駄目だろうと述べていました。一旦破局を迎えてはじめて人類は目が覚めるのだろうということです。それほど現代の人間の欲望が拡大してしまい、それを押さえるのは非常に難しいということです。

 前置きが長くなってしまいましたが、イエスの福音の本質がパウロによって伝えられているのが、今日与えられた言葉だと思います。それは、28節の言葉です。「我らは神の中に生き、動き、存在する」。

 まず、今日の箇所の背景ですが、パウロがギリシアの首都アテネにやってきて、アレオパゴスというところで行った説教での言葉です。当時、地中海世界において文化の中心はアテネでした。ここは昔からソクラテスやプラトンなど、今日の思想哲学にも多大な影響を与えたそうそうたる人物が排出された地です。

 おそらくパウロは、アテネに戦々恐々とした思いでやって来たと思います。ここにいるのは相当頭の切れる人たちです。こちらが一を言ったら十返すような人たちです。迂闊なことをいえば、徹底的に論破されてしまいます。しかし、パウロはアテネの町中を巡り歩くうちに、どうしてもこれだけな言わなくてはと思ったのでしょう。それがこの言葉だったんです。「我らは神の中に生き、動き、存在する」。

 古来、人類の思想で非常に根強くある考え方があります。それは「二元論」という考え方です。簡単に言えば物事を二つのものに分けて考えるということです。たとえば「聖と俗」「この世とあの世」「光と闇」「善と悪」です。大きな特徴は、物事を全体的に見ないことです。今日大きな問題で南北問題というのがあります。先進国と発展途上国の間で起こるあらゆる不正、不条理です。これももとを辿れば二元論だと思います。この世界を先進国と発展途上国とか、勝者と敗者というように分けて考えるのです。

 ほんとうなら、同じ地球に生きる者です。全体的に考えれば、貧富の差は解消とは言わないまでも、かなりの度合いで解決されると思うんです。しかしそれが出来ない。そこには無意識のうちに分け隔てをする二元論があるからだと思うんです。

 さて、神についても、この二元論が為されたのです。古代以来人間は、神とこの世を分けて考えたんです。人間は、天変地異が起きたりすれば、それから守ってくれるもの。或いは豊作などを願ったりする対象がどうしても必要になってきます。

 そこで登場するのが「神」なんです。神にそうした諸々の心配や不安を解決してもらったり、願いを叶えてもらいたいと考えるようになったんです。でも神は、この世とは別世界の存在と考えられていましたから、何ともしようがありません。そこで人間は、何らかの対象をつくって、それを神様として拝むわけなんです。

 しかし考えてみれば分かることなんですが、神殿とか自然の事物とか、ましてや何かで造った像というのは、人間がそれに向き合えます。ということは、私たちのこの頭の中で十分に考え、分析したりする事が出来るということですから、それは神とは言えないんです。


 本来、神は見えないし、認識できません。ですから向き合えません。でも人間は、神ではないものを拝んだりしていたのです。今もそうです。パウロがアテネで見た神は、こういう神だったんです。人間が造ったもの。人間の意識の中で考えられたもの。もっと言うなら人間の欲望や願いを反映したものだったわけです。

 だからパウロは言ったのです。「我らは神の中に生き、動き、存在する」。私たちは、神の中に存在させられているんだというのです。神の中に生きている。そういわれてもにわかには理解できません。イメージもできません。これはいったいどう理解したらいいのでしょうか。

 日本の有名な哲学者で、戦前、西田幾太郎という方がおりました。この人が思索のため、京都東山にある小さな川縁をよく歩いたことから、そこは「哲学の道」と呼ばれています。この人が神についてこんな事を語っているんです。神は鏡のようなものではないだろうかということなんです。どういうことかと言いますと、鏡は鏡自身の中に映ったものを成り立たたせています。それは、そのものをまったく歪めず、そのままの状態で取り込むのです。いわばそのままの姿を受け入れているわけです。西田幾太郎は、これが神のあり方ではないだろうかと言うのです。

 「我らは神の中にいる」ということは、今の「鏡」の譬えを参考にするならば、私たちの歪みをも受け入れているということです。私たちをそのままで受け入れているということです。罪あるものを罪あるままで受け入れているということです。

 さらに言うならば、私たちは決して見捨てられていないということです。なぜなら神の中にいるからです。受け入れられているからです。どんなに他の者から見捨てられても、裏切られても、神だけは見捨てない。それが「我らは神の中にいる」という言葉から伝えられている事だと思います。


 そして、この事がイエスの十字架によって明らかになったということが、キリスト教信仰の本質なわけです。なぜなら十字架上のイエスは、誰も裁いていないからです。自分を殺す者さえ赦すからです。ですから、神に、敢えて何かを語りかけるとしたら、それは願いではなく「感謝」ということではないでしょうか。そのままの姿で生かされているからです。だからパウロという人は、頻繁に「いつも感謝していなさい」と記しているのだろうと思うのです。

 罪ある者が罪あるままで受け入れられている。つまり赦されている。したがって、見捨てられていない。このことは誰にでも当てはまることなんだ。お互い様なのだ。ならば、わたしたちが進めていくことは、自分と自分に関係する者だけが利益を得るのではなくて、すべての者が分かち合い、助け合って利益を得て行くということです。このような精神への到達、それが冒頭の環境学者たちがいう精神革命とはこのことではないでしょうか。



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by buku1054 | 2015-07-06 13:34 | 礼拝メッセージ | Comments(0)

2015年6月28日坂下教会礼拝メッセージ

2015年6/28礼拝説教「なぜイエスは呪いの言葉を」マルコ11:12~14

 前回から、マルコによる福音書の11章に入りました。イエスの生涯の最後の一週間、イエスがユダヤ当局から受けられた苦難と、さらには当局から殺害されたことが記されています。前回は、子ろばに乗ってエルサレムに入城したイエスについて考えるところでした。前回述べたことをごく短く要約すると、子ろばに乗ってエルサレムへと入ることは、ベタニア村のハンセン病患者を虐げていたエルサレム当局への非難を意味していたということでした。で、イエスの一行は、その日の夕方、子ろばを返すためもあってベタニア村へ行きます。そこまでが前回の物語でした。

 今日の箇所は、その翌日からはじまります。イエスの一行がベタニア村を後にするのです。再びエルサレムへと向かうのです。すると、ベタニアを出るとき、いきなりイエスは、空腹を覚えられたとあるのです。で、葉の茂ったいちじくの木を見て、実がなっていないだろうかと近寄るのです。いちじくの実を食べようとするわけです。しかし、葉っぱだけが茂っていて実はなっていなかったのです。それに対してイエスは、いちじくの木に向かって「今からの後いつまでも、お前から実を食べることがないように」と言われたとあるのです。

 何ともわけがわからないというか、奇妙というか、納得できないというか、いったいこの箇所は何を意味しているのか。理解に苦しみます。素直に読むと、ここでのイエスは、まるで駄々っ子という印象受けます。ある牧師は、このイエスを評して、人間くさくて良いと述べていました。確かにそのような見方もできますが、あまりにも大人げないというのが率直な印象ではないでしょうか。

 ただここで、イエスの人間らしさを伝える。そのために、この福音書記者マルコが、この物語を記したとは思えないのです。マルコはこの出来事を通して何かもっと大切なことを伝えたかったはずです。そのことをご一緒に考えたいと思います。

 先ずこの物語を考えるとき、わたしは冒頭の言葉が、とても重要だと思いました。「翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた」。この言葉です。

 前の段落の続きから言えば、イエスとその一行は、夕方になったので、エルサレムから出て、約3キロ離れたベタニアに行かれたのです。ベタニアで借りた子ろばを返す必要があったからです。そこまでは特に問題はありません。しかしその翌日、ベタニアを後にしたら、イエスは空腹だったというのです。イエスの一行は空腹だったと記されていません。イエスは空腹だったというのです。ここまでの記述を見ますと、常に「イエスの一行」となっています。ところがここでは、イエスが空腹を覚えたとあるのです。

 この記述を素直に読むと、弟子たちは空腹ではないということになります。イエスだけが空腹なのです。それと、ここの訳ですが、「空腹」というのは正しい訳ではないようです。「飢えた」というのが原文の意味です。岩波書店の聖書では「飢えをおぼえた」と訳されていました。昔の聖書、文語訳聖書は「イエス飢え給う」と訳してあります。それが正しい訳なのです。空腹と飢えるとは違うのではないでしょうか。空腹なら、単にお腹が空いた、もしくは何度か食事を取れなくてお腹がぺこぺこだという感じです。しかし、飢えたとなると、ほとんど日常的にまともに食事が取れず、果たして今日食べることにありつけられるのだろうか。そんな貧しい切羽詰まった状態にあると思います。ではそれは具体的にどのような状況だったのでしょうか。

 前回のお話しで言いましたが、ベタニアというのは、悩む者の家、貧困の家と名付けられた村でした。しかも、ハンセン病の患者が隔離されたところがある村でした。貧しさと困窮と被差別の村です。人々が敬遠した場所、関わりたくない場所。そんな村だといってよいでしょう。


 イエスと弟子たちは、この村に足繁く通ったことがわかります。それはベタニア村に関する記述が多いからです。おそらくイエスと弟子たちは、この村に行く際、事前に集めた食物を持っていったのではないかと思うのです。貧困の村だからです。

 そこでイエスは、あえて食べなかったのです。我慢したのです。少しでも村の食べられない者たちに食べさせようとしたからです。弟子たちは我慢できず食べたのでしょう。しかしイエスは、自分の使命として、自分が犠牲になることを厭わないという思いがあったのではないでしょうか。それが、イエスが飢えた根拠だと思われるのです。

 ここまでは理解できます。納得できます。しかし問題なのは、そのイエスが、いちじくの木に向かって、まるで呪いの言葉といえるような言葉を掛けたということです。呪いの言葉は、イエスらしくない態度だと思います。イエスの品格が落ちてしまうのではないだろうか。そう思ってしまいます。しかしイエスは叫ぶのです。明らかに呪いの言葉を。

 ここで大切なことは、いちじくが何を意味しているのかということです。あくまでもあることの象徴であることは確かです。そうでなければ、イエスはほんとうに身勝手な、駄々っ子になってしまいます。いちじくは、古来よりイスラエルを指していました。文脈からいうと、ここではエルサレムを指していると思います。さらにいえばエルサレムの神殿体制だと思います。というのは、前の段落で、イエスはベタニアに行かれる前に神殿の境内に入りその様子を見て回ったとあります。そして次の段落では、神殿から商人を追い出すとなっています。

 これらのことから、いちじくはエルサレムの神殿体制を指していることに間違いはないと思います。イエスはそれを呪ったというのです、言葉を換えれば、激しく非難したと言えるのではないでしょうか。なぜでしょうか。


 では、問題の神殿体制とはどういうことなのでしょうか。神殿体制を支えていたのは、まずは祭司です。神殿の宗教儀式を行えるのは彼らのみです。それとサドカイ派がこの体制の支持者です。といいますか、サドカイ派と祭司集団は重なっていました。彼らは「モーセ五書」しか信じません。ユダヤ教の伝統派集団です。ユダヤ人が厳守しなくてはならない「律法」を違反した者、すなわち「罪人」は、神殿において清めなくてはならないと理解していました。

 そうでなくては人間は救われないという理解です。救われるためには、動物の犠牲を献げることが必須でした。また、祭司もサドカイ派もローマ帝国の支配を肯定してました。そこがファリサイ派との決定的な違いです。ファリサイ派は民族主義の傾向が強いのです。異民族の支配を嫌悪していました。ですから後に彼らが中心となってローマに反旗を翻すユダヤ戦争に発展するわけです。しかし、祭司やサドカイ派たちは、ローマの戦略によって、立場や特権が守られていました。ローマ支配にあっても以前と変わらない特権や利益を得ていたのです。

 ですから。民衆の苦悩に思いがゆかなかったのです。彼らはユダヤ教の中心的存在です。ユダヤ人の最も重要なことである罪の赦しを司っていました。しかし実際には、民衆から神殿税を強制的に徴収し、そのくせ、神殿祭儀に犠牲の動物を献げられない貧しい者たちや病人や障害者たちへの宗教的差別を公然と行っていたのです。イエスが支援したハンセン病患者はどうにもならない状態でした。彼らの救済は不可能だったのです。

 イエスはエルサレムへやって来ました。そして問題の神殿を視察しました。おそらくイエスは、噂では聞いていたが、こんなにも酷いとは思いもよらなかったのではないでしょうか。これが今のユダヤ教の実態なのか。イエスは嘆き悲しみ怒りに震えたと思うのです。「神は愛なり」というイエスの神観からしたら、そこで展開されていた様子は、宗教的欺瞞のなにものでもない。そう映ったと思うのです。

 「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」。イエスはそういわれたとあります。ほとんど呪いと言えるような言葉です。救い主イエスらしからぬ言葉です。皆さんはこんな言葉を告げるイエスをどう思いますか。これは呪いの言葉ではない。もっと別の意味があると思いますか。私もかつてはそう思いました。というか、そう思うようにしていました。救い主に相応しくない言葉だからです。しかし、どう読んでもこれは呪いの言葉です。恨み辛みの言葉です。


 前回もいいましたように、イエスは、人々の悲み、苦しみ、悩みを共有される方です。解決には至らなくても、一緒に苦しみ一緒に悲しみ一緒に悩む方です。まさにパウロが言うように、泣く者と共に泣く。それがイエスです。そんなイエスが、そうした弱くされ、小さくされた者たちの悲しみや苦しみを抱えながら、ユダヤの権力、神殿体制に対して何ができるでしょうか。イエスには悲しいかな、ローマの支配も、ユダヤの権力も、それを支える神殿体制も、改革する力はないのです。改革できないから殺されたのです。

 そんなイエスが何をできたでしょうか。呪いの言葉しかないのではないでしょうか。「呪い」というと、わたしたちは否定的な印象を抱きます。マイナスイメージです。でもどうでしょうか、自分たちを虐げる大きな力に対して、為す術もない弱い者たちは、自分たちを虐げる者に対して、恨み辛みの言葉を吐くしかない。それが呪いの内容というか実態ではないでしょうか。

 このところ、、週報の「今週の糧」の欄で、星野正興牧師の言葉を掲載してきました。星野先生は、わたしが神学生時代、教会の青年会の修養会で、こんな問いかけをしました。「木下さん、イエスってどんな人だったと思いますか」。わたしはそのとき、「平和を求める方」だとか「人間の本来の生き方を導く方」だとか、そんなふうに答えたと記憶しています。教科書的な正論です。でも、そのときの星野先生の言葉はハッキリと覚えています。先生は言われました。「イエスという方は、たとえ負けるとわかっていても、それでも権力に向かって石を投げる方だ」。

 私は思います。イエスは呪いの言葉を吐くしかないハンセン病の人たち、あるいは貧しい人たち、差別された人たち、そうした虐げられた人たちの思いを、ここで代弁したと思うのです。そこでは、救い主としての品格が落ちようが、愚かな奴だといわれようが、そんなことはどうでもよい。そう思ったのではないでしょうか。そしてそのイエスの思いを、マルコがここで残したのではないでしょうか。

 キリスト教信者の多くの人は、いつも柔和で、優しい、聖人君子のイエスをイメージしていると思います。完璧な存在です。神と同一視されるわけですから、そう思われることもわかります。もちろんそうした面もイエスにはあったことは間違いないでしょう。しかし、果たしてそれだけが、ほんとうのイエスなのでしょうか。今日の箇所からすると、どうも違うように思うのです。そう思うのはわたしだけでしょうか。


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by buku1054 | 2015-06-27 15:05 | 礼拝メッセージ | Comments(0)

2015年6月14日坂下教会礼拝メッセージ

2015年6/14礼拝説教「ベタニアの子ろば」マルコ11:1~11

 今日からマルコによる福音書の11章に入ります。イエスの生涯の最後の一週間がはじまります。マルコによる福音書は全部で16章からなりますが、その三分の一を最後の一週間、イエスの受難と死に充てています。おそらくこマルコにとって、イエスの存在の意味は、受難と死にある。そのことを伝えたかったのではないでしょうか。

 それでは今日の箇所をご一緒にたどってみたいと思います。イエスの一行がエルサレムに近づいて、ベトファゲとベタニアというところにさしかかったときのことです。イエスは弟子の二人を使わします。向こうの村とあります。ベトファゲなのでしょうか。ベタニアなのでしょうか。

 この物語の最後の所で、夕方になったのでベタニアに行かれたとあります。それは、借りた子ろばを返さなくてはならないわけです。ですから「向こうの村」とはベタニアのはずです。で、弟子たちを使わした目的は、まだ誰も乗ったことのがない子ろばをほどいて連れてきなさいということでした。

 いったい何をしようというのでしょうか。最初は見当もつかないわけですが、やがて、イエスがこの子ろばに乗ってエルサレムへ入ることがわかります。子ろばに乗ってエルサレム入る。そこにはいったいどんな意味があるのか。それがこの物語の主題です。

 この物語は、四つの福音書すべてに記されています。それだけイエスを語る上で重要な箇所だと考えられていたのでしょう。因みに四つの福音書すべてに記されている記事を参考までに紹介します。バプテスマのヨハネがイエスの到来を預言したこと。弟子の選び。5000人の供食。神殿で商人を追い出す。ペテロの裏切り。逮捕される。ピラトの尋問。十字架につけられる。死。墓に葬られる。復活。そして今日のエルサレム入城です。


 さて、今日の箇所、四つを比較しますと様々な違いがあります。わたしは、その違いの中でも重要な違いが二つあると思いました。一つは、イエスのこの行動が、旧約のゼカリヤの預言の成就だったのか否か。二つ目は、ベタニア村の記述が記されているかどうかということです。

 マルコ福音書では、ゼカリヤの預言は記されていません。一方マタイとヨハネは、ゼカリヤの預言の成就と記しています。また、ベタニアについてはマルコとルカにしかありません。ヨハネは地名を一切削っています。マタイではベトファゲはありますがベタニアはないのです。マタイは、ベタニアを意図的に削除していることがわかります。細かいことのようですが、この細かいことがこの箇所を解釈する上で重要なことだと思います。

 何度も述べていますが、福音書の中で、一番最初に書かれたのはマルコによる福音書です。そこでは、ゼカリヤの預言はないわけです。つまりマルコにとって、ゼカリヤの預言は必要ないのです。しかし、マルコ福音書を参考にしたマタイは、ゼカリヤの預言を挿入したのです。マタイはマタイなりに、イエスの行動の意味を明らかにしたかったわけです。で、ヨハネ福音書の記者がこれを受け継ぎます。

 これまで教会は、マタイの理解を受け継いできました。マルコを読むときにも、ゼカリヤの預言を前提として読んできました。しかしわたしは、あくまでもゼカリヤの預言でもなく、マタイやヨハネが削ったベタニア村を記すマルコの意図を探りたいと思うのです。なぜならそこにこの福音書記者のイエス観、メシア観が示されていると思うからです。

 その前に、問題のゼカリヤの預言について触れておきます。ゼカリヤ書9章に次のような言葉があります。「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」シオンの娘とは、エルサレムを指しています。エルサレムにやがて子ろばに乗って王様が来る。その王様は柔和な方だというのです。荷を負うというのは、人々の重荷を負うということです。

 マタイはイエスのエルサレム入城に際して、この預言を思い浮かべたわけです。なぜか。それは、イエスを思えば、まさにその姿にピッタリだったからです。柔和であり、他者の重荷を負うということです。ここはエルサレムです。ユダヤの権力の中心地です。暴力で人々を支配していたエルサレムです。そこへイエスが子ろばに乗って乗り込んだ。ユダヤ教が待ち望んだメシアとは違う。キリスト教のメシアとしての意味がここにあるということです。

 でもわたしは、ゼカリヤの預言を使わないマルコが気になるのです。ゼカリヤの預言を用いないということは、イエスのエルサレム入りは、そんな意味ではないというマルコの主張だと思うのです。で、そのことは、ベタニア村の存在と関連があると思ったのです。

 ベタニア村は、エルサレムから約3キロ離れた村だったそうです。ここは、イエスと親しかったマルタ、マリア、ラザロの兄弟がいたところです。死んだラザロを蘇生したところです。また、香油をイエスに注ぐ女性がこの後出てきますが、その出来事もこのベタニアです。またハンセン病患者のシモンもこの後登場しますが、それもベタニアです。

 ベタニアはイエスとの関わりが深いところです。イエスはここに足繁く通ったといわれています。因みに調べると面白いことがわかりました。ベタニアという地名の意味です。それは「悩む者の家」「貧困の家」ということです。こんな否定的というか屈辱的な意味の名前を、自分たちの村の名前とするでしょうか?

 例えば、ベツレヘムは「パンの家」、ベトファゲは「いちじくの家」、ベトサイダは「漁師の家」という意味です。それぞれの良い特徴を町や村の名前とする。それが自然です。そう思うと、たぶんベタニアは外部から、蔑みの意味で付けられた町の名前だったのではないでしょうか。一説では、ハンセン病の隔離所があったということです。

 そう思うと、ベタニアにいた子ろばということ自体に何か意味があるように思いました。それと、そもそもなぜ「子ろば」なのかということも不可解です。しかも、まだ誰も乗ったことがない子ろばとあるのです。さらにいえば、その子ろばを、ほどいて連れてきなさいとあるのです。細かい描写です。「誰も乗ったことのない」とか「ほどく」などは特になくてもいい記述です。

 これはあくまでもわたしの解釈ですから、実際はそうではないかも知れませんが、子ろばに乗るのはあり得ないと思うのです。大人のろばなら問題ないと思います。しかし、子ろばなのです。4~5歳の子どもなら乗れたでしょうが、少なくとも大人は乗れないと思うのです。大人が乗れば子ろばが潰れると思うのです。ですからここは、イエスがエルサレムへやって来た。そこにはこんな意味があったのだという、マルコの示しがあったのではないでしょうか。

 わたしはここまで読んできて、この箇所について、二つの伝承があったのではないかと思いました。一つは、マタイやヨハネが採用した伝承です。それは、イエスこそ、ユダヤ教とは違う真のメシアということです。それは、わたしたちの重荷を負ってくださるメシアです。まさにキリスト教の本流を行くメシア観です。これもとても意義ある解釈です。

 でも、この福音書記者マルコは、ゼカリヤの預言も記しません。マタイやヨハネが削ったベタニア村を記します。重要なのはそこなのです。ゼカリヤ書の預言である「子ろばに乗っての」メシア。これはあり得ない事です。子ろばが潰れるからです。ならば、子ろばは何を意味しているのか。それは、ベタニア村にいたハンセン病の人たちではないでしょうか。当時では絶対に救われない人たちです。自分の人生を呪うしかない人たちです。そんな彼らに、イエスは乗るのです。さらに苦しめるわけです。潰れるのです。でも、そのことを、マルコは示そうとしたのではないでしょうか。


 つまり、理不尽に小さくされ、弱くされ、差別された者たちに乗っかって潰している。あなたがたはこんなことをしているのだ。そのことをイエスは痛みとしていた。そのイエスの思いを、マルコは「子ろばに乗って入城する」という物語を用いて示したのではないでしょうか。

 そもそもこの箇所の基となった出来事は、イエスの一行が、ベタニアに足繁く通ったことにあると思います。そこには、ハンセン病として隔離され、救いが閉ざされた人々に対するイエスの愛情の出来事があったと思うのです。まさにそれは、苦しみや悲しみの共有です。そしてそんな苦しみや悲しみを「ほどく」、つまり解放する。それがイエスの思いだったのではないでしょうか。しかし、教会が成立する過程で、イエスの救い主という側面がどんどん大きくなっていったのです。イエスは苦しみや悲しみの共有者というよりも、人類すべてを救うという信仰が確立されたのです。それはそれで意義があります。

 しかし、そんな中で、マルコは、イエスは苦しみを共有することで、悲しみを共有することで、わたしたちを励まし、慰める方なんだ。その結果として、無残に殺されたのだ。でも、このイエスこそ、ほんとうの救い主の姿なのだ。それを伝えたかったのではないでしょうか。わたしはこの度、そう読んだのです。



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by buku1054 | 2015-06-14 18:07 | 礼拝メッセージ | Comments(0)

2015年5月31日坂下教会礼拝メッセージ

2015年5/311礼拝説教「あの男を呼んできなさい」マルコ10;46~52

 今日は、継続して読んでいるマルコによる福音書を読み進みます。前回、前々回の箇所で イエスの一行が、ユダヤ教の総本山、またユダヤの政治の中心であるエルサレムに向けて旅立ったところを学びました。

 イエスの活動の根拠とはいったい何だったでしょうか。それは、どんな人も神から愛されている貴い存在だということです。「神は愛なり」を実践したわけです。このことを主張するのであれば、エルサレムに行くこと、つまりユダヤの政治、経済、文化、宗教の中心に乗り込むことは、殺されに行くようなものです。なぜならユダヤ社会は、ユダヤ教を根拠とした差別社会だからです。ユダヤ教ではユダヤ人以外は救いの対象ではありません。誰もが尊い存在など、絶対に受け入れられない社会なのです。

 イエスの一行は、エルサレムを向かう途上。エリコという町に着きました。旧約聖書の物語で、出エジプトの民がパレスチナで最初に陥落した町で有名なところです。陥落というと聞こえはいいですが、要するに侵略したのです。ここは、世界でもっとも古い町といわれています。

 そこに、ティマイの子、盲人のバルティマイという物乞いがいました。。歴史あるこの町のことです。無数の人々が生きた町です。にもかかわらず、父親とその息子の名前まで記されているのです。しかも、息子バルティマイは盲人の物乞いです。普通なら誰も相手にしない存在です。しかし、こうして本人はもとより、父親の名前まで記されているのです。これはこの親子の存在が、このエリコでとても有名だったということです。では、有名になった根拠は何でしょうか。それが今日の箇所によるのではないでしょうか。イエスとの出会いのこの出来事が、彼をこの歴史の町、エリコで有名にしたのだと思います。


 イエスがエリコを去ろうとすると、バルティマイが、「ナザレのイエス」と気がつきます。彼は「ダビデの子イエスよ、憐れんでください」と叫ぶのです。それも二回もなのです。彼にとって千載一遇のチャンスだったのです。今ここで叫ばなければ、自分はこの先もずっと物乞いで盲人だ。自分の人生がそれで終わってしまうのだ。そんな悲壮感を感じます。

 そもそもこの人「道端」にいるのです。道ではないのです。これは重要なポイントです。道は人や馬車や家畜が往来するところでした。今なら自動車が行き来するところです。障がいが無く普通に往来できる者が行き交うところ。それが「道」です。しかし彼はそこにはいないのです。否、いてはならないと言った方がいいかも知れません。いたら蹴飛ばされ、弾かれるでしょう。だから彼は道端にいるのです。道端というのはそれを物語っているのではないでしょうか。

 だから彼の懇願に対して、人々は叱りつけるのです。黙らせようとしたのです。盲人でしかも物乞いなどまともな人間とは見なされませんでした。神の罰が当たった穀潰し、いてもいなくてもいい存在です。黙れ!このバカ!貴様!何者だと思っているのだ。失せろ!それが彼の周囲にいた人の思いなのです。

 しかしイエスは、その彼を呼ぶのです。「あの男を呼んできなさい」。今日の説教題はここから取りました。サッと通り過ぎてしまいそうなただの呼びかけの言葉です。でも、この呼びかけがとても重要ではないか、そう思ったのです。イエスは、「あの盲人を呼んできなさい」とは言いません。「あの物乞いを呼んできなさい」とも言わないのです。「あの男」なのです。バルティマイの存在を特徴づける「盲人」でも「物乞い」でもないのです。一人の当たり前の人間としての彼、イエスはそこを見ているのです。これはとても大切ではないでしょうか。その人の傷である障がいをもって呼ぶのではない。その人の痛みである生業で呼ぶのでもない。その人そのものをイエスは観ているのです。


 わたしたちは、ある人に対して、そのままのその人として観ているでしょうか。ハンサムな彼、お金持ちのあの人、頭のいいこの人、性格の悪いあの人、足の不自由なこの人、そんなふうに、その人の存在そのものよりも、その人が持っている何かで、その人が抱える何かで、ああだこうだと見定め、レッテルを貼っている。そして納得していると思います。

 しかしイエスは、そういうもので人を見ないのです。あの男なのです。ありのままのその人を見るのです。その人の傷ではみない。傷があろうと無かろうとその人はその人、ありのままのその人を肯定するのです。

 バルティマイは、イエスに対して、ダビデの子から先生にと呼び方が変わります。彼はイエスにどんどん心を開いていくのです。そりゃあそうです。盲人で物乞い。道端でしか過ごせない邪魔者。人はそんな目でしか彼を見ません。しかしイエスだけは、彼に正面から、何の偏見も差別もなく向き合うからです。懇願の中身も、憐れんでくださいから目が見えるようになりたいと具体的な願いとなります。彼はイエスを信頼しているのです。

 イエスは、そんなバルティマイに向かって一つの言葉を放ちます。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。福音書には同様の言葉がいくつか記されています。「あなたの信仰があなたを救った」。この言葉、よく考えると不可解です。バルティマイが目の見えないこと、物乞いであること、それが解決されたのは、バルティマイ自身の「信仰」だというのです。ここが不可解なのです。救いとは神の領域ではないでしょうか。自分で自分を救えるのでしょうか。ユダヤ教の伝統ではあり得ない事です。それもあって、イエスはユダヤ当局から憎まれたのです。


 教会は、この部分を次のように解釈してきました。これは。イエスを救い主とした信仰である。それが問題の解決となったのだ。ゆえに教会は語ってきました。イエスを救い主と信じて、信仰告白をしなさい。洗礼を受け、真面目に教会生活を送りなさい。それが救いとなるのである。つまり、信仰を持てば、病気が治り、問題は解決するのである。もしも治らず、問題が解決しないのであれば、それは信仰が足りないからだ。もっと精進しなさい。真剣に信じなさいということです。

 もっともこの理解は、キリスト教が確立された後の理解を反映しているわけです。マルコ福音書が書かれたのは紀元70年頃です。教会はまだキリスト教ではありません。ユダヤ教の一派です。したがってこの理解では無理があります。イエスがリアルに生きていた頃は、まだこのような信仰理解はありません。では、どいうことなのでしょうか。

 元バプテスト連盟の岡野守也牧師は、信仰について次のようなことを述べていました。それがヒントになりました。「信仰をむしろ<まごころ>と言い換えたい。ほんとうのことをほんとうと認める心である。

 まごころの第一の意味は、人間は自分の力で自分を生んだのでなければ、生きているのでもない。生まれ、生かされていることに目覚めることである。〃生まれた〃ということ自体、受動態であり、生かされて生きているということがすべての人間の基本姿勢である。そして、第二の意味は、他者もそうであることに気がつくことである。だから、私も神の子、他者も神の子ということがわかる。それが〃まごころ〃であり、そのことが心の底からわかることが信仰の根底的意味ではないだろうか」。


 バルティマイ、彼は盲人であることで呪われた存在と定められ、物乞いであることから白い目で見られ、普通の者が行き来できる「道」を歩くことはできませんでした。邪魔な存在として道端に追いやられていました。彼はそんな自分の境遇を呪い、自分を卑下し、生きる気力さえ失っていた人でした。

 しかし彼は気がついたのです。人が定めた規準や規定、様々な偏見、そういものを取り払ったとき浮かび上がってくる真実とは何か。それは、自分は生かされて生きている。自分自身には存在の根拠はない。他の誰もが皆そうである。わたしも神の子であり、他者も神の子なのだ。目が見えるとか見えないとか、議員だろうが物乞いだろうが、人は皆、例外なく貴い存在なのだ。神が与えてくれているまさにその<まごころ>に彼は目覚めたのです。

 だから彼は、もう自分を呪う必要はない。自分を卑下する必要もない。道端にいる必要もない。自分も間違いなく神から愛されている「神の子」だ。「あなたの信仰があなたを救った」とはこのような目覚めではないでしょうか。そしてバルティマイをそこへと導いたのは、「あの男を呼んできなさい」といわれた偏見なきイエスの言葉だったのです。


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by buku1054 | 2015-06-02 18:32 | 礼拝メッセージ | Comments(0)

2015年5月24日坂下教会礼拝メッセージ

2015年5/24「胸を張って生きよう」使徒言行録2:1~13

 今日は教会の暦で「ペンエコステ」です。日本のプロテスタント教会では、ほぼ「聖霊降臨日」と呼んでいます。神の働きがこの世に降ったということです。キリスト教の三大祝日の一つです。この世界に教会が誕生し、キリスト教の宣教がはじまったことを覚える日です。そういうことで、今朝はマルコによる福音書を離れて、この日にちなんだ聖書箇所から聴きたいと思います。

 ところでわたしは、今から55年前、神奈川県川崎市、新丸子というところで生まれました。新丸子は、東京と神奈川の間に流れる多摩川の辺にある町です。当時は小さな町です。わたしの「母子手帳」によりますと、わたしは昭和35年、西暦で言えば1960年10月27日午後4時8分、この世に生を受けました。身長52㎝、体重3.3㎏でした。

 生まれた病院は「立岡産婦人科」という病院でした。まだその頃は出産の件数が多かったので、独立した産婦人科が多かったようです。また、わたしが生まれた昭和35年はベビーブームだったようです。それから父の仕事の都合で川崎市に3年、それ以降は東京の各地で生活しました。ですから、川崎市で3年、東京で33年生活したのです。でも、人に説明するときは面倒なので東京で生まれ育って36年間と言ってます。

 そして19年前、坂下にやってきました。途中から川上に引っ越しましたので、坂下および川上で満18年ということです。 丁度、東京時代の半分をここで過ごしたことになります。今までの人生を振り返りますと、何でこうなったのか。何でここにいるのか。とっても不思議な気持ちで一杯です。やはり神の働き、神の導きがあるのでしょうか。

 ともかく、これだけ長くいると、わたし自身、いろいろな変化がありました。その内で、今日の主題から言うならば、「言葉」です。18年もいるわけですから、この地方の方言が身につくと思います。でもわたしは、一向に東京の言葉で喋っています。娘の未来は、ここで生まれ育ったので、坂下訛が身についています。それは当然です。でも久美子が、ここの訛を自然に駆使していることが、わたしからするとどうもわからないのです。不思議だなあと思います。女性は順応性が高いのでしょうか。

 それに対して、わたしはこの地の訛に染まりません。多少は影響を受けているとは思いますが、地の人からしたらほとんど標準語で話していると思います。なぜでしょうか?改めて考えてみました。

 わたしは、自分のルーツというか、自分の根拠というか、それは、紛れもなく東京だと思っています。
わたしにとって、30数年過ごした所、その東京がわたしの故郷です。これを変えることはできません。

わたしは今、この地が大好きです。一方、正直言って、東京は好きではありません。誰も彼もが憧れる東京、なんだか驕り高ぶっているような東京。牧師の世界でも、最初は田舎の小さな教会で修行がはじまって、次に地方都市の中規模教会でキャリアを積んで、最後は東京の大教会でゴールイン。それが暗黙の了解になっています。そんな恵まれた東京が好きになれないのです。

 先週東京に出張で行きました。4年ぶりでした。あまりの変わりように戸惑いました。数多い人の流れを見ていて目が回る思いでした。空気が悪いです。ともかく居心地が悪いのです。でも、次の日に名古屋に来ると安心しました。さらに次の日にここまで来ると嬉しくなりました。わたしはすっかりこの地の人間になった。改めてそう思いました。しかし、そんな嫌いな東京にわたしは生まれ育ったのです。そこは亡くなった両親が生き抜いたところです。今も兄弟がいます。親友がいます。わたしを育てた教会と神学校があります。それが東京なのです。そんな東京をわたしは否定できません。


 ここ東濃で骨を埋めることになったとしても、それでもわたしは東京人である。また、そのことを忘れたくないという自分があるのです。それがこの地方の方言を喋らない理由だと思います。わたしは東京の人間だ。それは棄てたくないのです。理屈でない思いがあるのです。わかってもらえるでしょうか。


 さて、「ペンテコステ」です。イエスが復活された後、50日目、神の働きがあって、教会が成り立ち、宣教がはじまった。それを記念する日です。ところで、イエスが殺されて、教会が起こるまでの50日間。弟子たちは、いったい何をしていたのでしょうか。聖書によれば、どうも弟子たちは、ずっとある家の中に隠れていたようです 。信頼していたイエスが殺されて、恐ろしくなったからです。

 自分たちにも火の粉が及ぶのではないか、見つかったら、拷問されたり、イエスと同じように殺されるのではないだろうか。そう思って恐れていたと思います。だから、町の中に行くときは、声を潜めて、しゃべらないようにしていたのではないでしょうか。それがこの箇所のキーワードです。言葉なのです。

 考えてみたら、イエスも弟子たちもガリラヤの訛が強い言葉を話していたはずです。その言葉を聞かれたら「こいつはガリラヤ訛だな。ガリラヤの方言だな、そういえば、この間イエスというガリラヤの男が十字架で殺されたばっかりだ。もしかしてお前もその仲間じゃないのか」。そんなことになるかも知れません。実際、ペテロは、イエスが捕らえられた後当局に忍び込み、ガリラヤ訛がばれて危機が迫ったのです。だから弟子たちは、家の中にずっと隠れていたのです。それでも食料の調達など、たまにやむを得ず外に出なくてはなりません。そのときには、絶対にガリラヤの言葉をしゃべらないようにしよう。そうお互いに確認し合っていたと思います。


 でも、50日目のその日、弟子たちが隠れていた家の中に、何とも不思議な風が吹いてきました。窓もドアも閉め切っているのに、どうしてこんな風が吹いてきたんだろう、そう思っていると、なんだか自然に勇気が湧いてきて、気が付くと弟子たちは外に出て、大声でイエスのことを話し始めていた。どうもそんな感じなのです。


 彼らは、どんな言葉でしゃべり始めたのでしょうか。聖書には「他の国々の言葉で話し出した」と書いてあります。でも、それは違うと思います。いくら何でも突然知らない国の言葉をしゃべり出すわけがありません。ほんとうは、弟子たちは自分の言葉、ガリラヤ訛の自分の言葉でしゃべりだしたのではないでしょうか。今まではイエスの仲間だと言われるのが怖くてしゃべれなかったガリラヤ訛をしゃべりだした。そう思うのです。

 するとそこにたくさんの人が集まってきました。ちょうどのその日は、ユダヤ教の五旬祭という小麦の収穫感謝のお祭りの日で、外国からもたくさんの人たちがエルサレムに来ていました。その人たちは、それぞれの国で、ユダヤ教の教えや祭儀などの話を聞いて、ある意味、現世的な利益を求めて、わざわざ異教の祭りに参加していたのだと思います。

 でも、いざエルサレムに来てみると、「お前は外国人だな、ユダヤ人の言葉をしゃべれないんだな」「外国人はユダヤの神殿には入っちゃいけないんだぞ」「そもそも外国人が救われることなど絶対にない」などと、冷たい言葉を浴びせられ、意気消沈していたと思うのです。ですから、ユダヤ人以外の人たちは、外国人だということがばれないように、絶対に、自分の言葉をしゃべってはいけないと自分に言い聞かせていたのかも知れません。

 そこにいた人たちのリストが記されています。パルティア、メディア、エラム、メゾポタミア、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、リビア、クレタ、アラビア、いろんな国の人たちがいました。実は、ここに挙げられている国は、皆ローマ帝国によって侵略され、蹂躙され尽くされた国々です。

 ローマの軍隊がやって来て、「この国はこれからはローマ帝国のものだ。この国でとれる食べ物も産業も文化も何もかもローマ帝国のものだ。おまえたちは、これからは俺たちローマの家来になるんだ。ローマに刃向かったりしたらみんな殺してやるぞ」、そんなふうに言われていたのでした。それなのに、このガリラヤの人たちは、胸をはってガリラヤ訛でしゃべっているではないか。ローマに刃向かった者として殺されたイエスのことを、イエスと同じガリラヤ訛でしゃべっているではないか。それはほんとにびっくりするようなことだったのではないでしょうか。そしてそれを聞いているうちに、外国から来た人たちは、なんだか自分の生まれ故郷の言葉を聞いているように思えてきた。そう思うのです。

 彼らは思ったはずです。そうだ、胸をはって、自分の言葉をしゃべってもいいんだ。ユダヤの言葉をしゃべれなくたっていいんだ。ローマの言いなりにならなくたっていいんだ。イエスの弟子たちが、胸をはってガリラヤ訛でイエスのことをしゃべりだしたのを聞いた人たちは、きっとそんなふうに、思ったんじゃないでしょうか。

 ペンテコステの日の出来事というのはそういう出来事だったと思うのです。それは、どの国の人も、どんな人種でも、どんな民族でも、どんな言葉をしゃべる人も、胸をはって自分らしく生きていくことがよしとされた日ということではないでしょうか。それこそが教会がこの世の人たちに示す福音ということではないでしょうか。


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by buku1054 | 2015-05-24 18:27 | 礼拝メッセージ | Comments(0)

2015年10日坂下教会礼拝メッセージ

2015年5/10礼拝説教「右と左」」マルコ10;35~45

 私たちの国日本では、クリスチャンであることで、何か特権が与えられたり、利益があるということは、まずほとんど無いと思います。それどころか不自由さとか嫌な思いになることが多いのではないでしょうか。特に私たちのような農村社会では、ストレスの溜まることが多いと思います。地域の活動は、ほとんどが日曜日です。したがって、地域を選ぶか教会を選ぶかで、皆さんも苦労してこられたと思います。私自身がそうです。牧師という立場は、この地域ではまったく考慮されません。

 あれは、山田 伝さんのお嬢さん、早川美和子さんが末期癌で、県立多治見病院に入院したときのことです。もう17年くらい前ことです。わたしと河村忠二さんが、美和子さん危篤の報せを聞いて病院を訪ねました。臨終にあって最後の祈りを捧げようとしたのです。しかし、担当の看護師さんは、私たちの面会を頑なに拒否しました。忠二さんは、この人は牧師である。彼女は信者である。面会することは大切なことだと粘ったのですが、その願いは叶えられず、帰らざるを得なかったのです。帰りの車中、忠二さんは嘆いていました。この国では、牧師の存在など、あまり顧みられていません。日本の田舎では、キリスト教がいかに信用されていないかの一つの例です。

 さて、今日の箇所をご一緒に考えたいと思います。ヤコブとヨハネ、イエスの側近です。ペテロと共にイエスからもっとも信頼された者たちです。彼らがイエスに願うのです。あなたが栄光を受けるとき、私たちをあなたの右と左に座らせて下さい。

 今日の説教題を「右と左」としました。右と左とは、最高の地位にして下さいということです。側近中の側近、最高の名誉と特権、そして他の者とは違うより豊かな利益、それを願うのです。しかも彼らは、願いを叶えてくださいとさえいうのです。単にお願いするのではなく、確実にそうして欲しいというわけです。


 何とも図々しいというか強欲といえます。この後、出し抜かれた他の10人の弟子たちが腹を立てたということが記されています。つまり他の10人も同じ穴のむじなです。強欲なのです。自分こそ得したい。他の弟子たちの誰よりもより上になりたい。得をしたいと思っているのです。

 前の段落では受難予告がありました。イエスの目指すことがわかったように思うのですが、実は彼らは何もわかっていい。素晴らしい状態が待っている。そう思っています。その前の段落でペテロが言うのです「私たちは何もかも棄ててあなたに従ってきた」。「何もかかも棄てたんですよ」というのです。つまり、弟子たちにしたら、これだけの犠牲を献げてきたのだから、それ相応の報いがあるのは理解しているのです。というかまるで脅迫しているようです。これだけ献げたのだから、それ相応の報いをしろなのです。

 読んでいると、弟子たちの醜さを感じます。しかしこれが人間の思いではないでしょうか。私たちは弟子たちを批判できないと思います。この国で信者になることは極めて稀なことです。信者は国民全体の0.7%以下です。しかも世間の好意的な承認はほとんどありません。信者であることで何ら得することはない。むしろ不都合や不利益が多いのです。しかしそれにもかかわらず、懸命に信者としての責務を果たしている。それが私たちの現実です。

 そんな私たちだからこそ、必ず大きな報いがあるはずだ。やがて素晴らしい幸福が与えられるはずだ。信者でない者と同じ報いがあるなど絶対に赦せない。信者同士であっても、熱心に教会生活をしている自分とそうでない者とはいただける報いが違うのは当然だ、そうでなくては理不尽だ。そんなふうに思うこともあるのではないでしょうか。まさにあの放蕩息子の譬え話のお兄さんと同じ考えです。しかし、イエスの思い、イエスが考える栄光はこれとはまったく違うのです。イエスは、偉くなりたかったら、つまり「栄光」を得たいのだったら、仕える者になれ。奴隷のように仕えろ。徹底して低いところに自分を置けというのです。ここで「仕える」と訳されている言葉は、原文では「ディアコニア」という言葉が使われています。これは「ディア;~を通る」という意味と、「コイノス;塵や泥」という意味の合成語です。

 つまり、他者に仕えるとは、人が嫌うような、まったく低く、利益もなく、それどころか理解も得られない、尊敬もされない、馬鹿扱いされる。そんなところまで身を落としてまでも、他者のために生きる。まさに泥まみれになっても他者のために生きる。そんな意味なのです。

 さて、先週に引き続き、西郷隆盛のエピソードを紹介したいと思います。幕末の日本にとって最大の問題は、欧米列強諸国に対して、たとえ理不尽であっても外交関係を結ぶ「開国」を進めるのか、それとも、このまま鎖国を続け、外国の理不尽な要求に対して武力も辞さない「攘夷」を実行するのかということでした。

 この状況下で、アメリカから開国要求を迫られます。そのとき最高責任者であった、大老、井伊直弼は、他の有力な藩主や朝廷の意向を考慮せず、「日米修交通商条約」を結びました。日本側にとって不平等な条約です。また、将軍の後継者問題でも、井伊直弼は、周囲を無視して独断で選んだのです。

 井伊直弼にとって、やむを得なかった思います。しかし、これらの決定に、有力な藩主たちは激しく非難します。井伊直弼は、反対意見の者たちを徹底的に弾圧するのです。これが「安政の大獄」と呼ばれた事件です。これによって、多くの有能な人たちが弾圧されました。今、放映されている大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の一人、吉田松陰も弾圧されたひとりです。ちなみに井伊直弼は、この恨みを買って暗殺されます。「桜田門外の変」です。

 さて、安政の大獄の弾圧対象者の一人に、京都清水寺の住職、月照という人がいました。僧侶でありつつ、政治活動をしていた人です。井伊直弼の政策に批判的でした。西郷とも活動を共にし、お互い尊敬し合った仲でした。西郷はこの月照を匿います。そして隠密の旅の末、故郷鹿児島にやって来ます。西郷は月照の保護を薩摩藩に懇願するのです。しかし、幕府の弾圧を恐れた当時の藩主、島津久光は、月照を、「日向送り」にせよと西郷に命じるのです。日向とは今の宮崎県です。鹿児島と宮崎の県境で、月照を斬り殺せ。これが日向送りの意味なのです。

 西郷は苦しみの境地に立たされます。藩主の命令は絶対です。逆らえば死刑です。でも、西郷は共に活動してきた月照を殺すことなどできません。月照は、西郷の立場を思えば自分の運命を覚悟していました。そこで何と西郷は、月照との心中を決意するのです。西郷は薩摩藩ではなくてはならない存在です。しかし西郷は、どうしても月照を見捨てることができないのです。だから心中という決断をするのです。

 鹿児島の錦江湾を渡航中の舟から、西郷と月照は固く抱き合ったまま、入水したといいます。他の乗組員が必死に二人を救助します。結果は、月照は溺死。西郷は意識不明の重体でした。でも、西郷は三日後奇跡的に息を吹き替えしました。西郷は月照と一緒に死ねなかったことを生涯悔やんだといいます。西郷は「情の人」だといわれます。他者の悲しみや苦しみを観て、放っておけない人なのです。この世的な損得で動かないのです。

 イエスが考える栄光とは、西郷のように、人を愛する。そのためなら不利益を被ることも厭わない。それこそが「栄光」なのだ。すなわち、神の思いなのだということだったのではないでしょうか。

 十字架の場面を思い出して欲しいと思います。三本の十字架が立っていたのです。イエスの十字架の右と左には犯罪人が掛けられていたのです。国家反逆罪として十字架に掛けられていたのです。ローマの圧政に謀反を起こした彼らです。民衆の幸福のために生きた彼らなのです。イエスの右と左になるということは、たとえ自分が不幸になろうとも、損をしようとも、それどころか、殺されようとも、それでも、イエスの志を受け継いで生きることを厭わないということではないでしょうか。

 わたしたちは、信者になることで、きっと、報いがある。そう信じていると思います。また、そうでなくては理不尽だ。そう思うこともあります。しかし、実際には、信者になって、イエスに従うことは、いい事など何もなく、辛いことばかりの人生になるかも知れません。

 しかし、キリスト教信仰とは、それでも自分は、イエスを救い主と信じて生きることを決意することです。そこでは人間の思いや願いはまったく打ち砕かれます。それでも私たちはイエスに従っていけるのでしょうか。厭々、そんな宗教では無理です。従えません。そう思うのでしょうか。皆さんは、この問いかけに、どう向き合うのでしょうか。



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by buku1054 | 2015-05-10 18:56 | 礼拝メッセージ | Comments(0)

2015年5月10日坂下教会礼拝メッセージ

2015年5/10礼拝説教「右と左」」マルコ10;35~45

 私たちの国、日本では、クリスチャンであることで、何か特権が与えられたり、利益があるということは、まずほとんど無いと思います。それどころか嫌な思いになることが多いのではないでしょうか。特に私たちのような農村社会では、ストレスが溜まることが多いのではないでしょうか。地域の活動は、ほとんどが日曜日です。したがって、地域を選ぶか教会を選ぶかで、皆さんも苦労してこられたと思います。私自身がそうです。牧師という立場は、この地域ではまったく考慮されません。

 あれは、山田 伝さんのお嬢さん、早川美和子さんが末期癌で、県立多治見病院に入院したときのことです。もう10数年も前こととです。わたしと河村忠二さんが、美和子さん危篤の報せを聞いて病院を訪ねました。臨終にあって最後の祈りを捧げようとしたのです。

 しかし、担当の看護師さんは、私たちの面会を頑なに拒否しました。忠二さんは、この人は牧師である。彼女は信者である。面会することは大切なことだと粘ったのですが、その願いは叶えられず、帰らざるを得なかったのです。帰りの車中、忠二さんは嘆いていました。この国では、牧師の存在など、まったく顧みられていません。日本の田舎では、キリスト教がいかに認知されていないかの一つの例です。

 さらにいいますと、わたしは年に一回、川上の子育て支援部会の会長として川上小学校の環境整備のときは教会に無理を言って休みを取ります。今年は6月7日です。でも、それ以外の日曜日の行事は協力しません。というかできません。しかし、それは地域の人たちにしてみれば非協力的なのです。これでは、教会が地域の人たちに認められることはないでしょう。かといって、地域の人たちに何もかも合わせても、教会としては何の利益もないと思います。農村の教会は、伝道が困難であるというのが実感なのです。


 さて、今日の箇所をご一緒に考えたいと思います。ヤコブとヨハネ、イエスの側近です。ペテロと共にイエスからもっとも信頼された者たちです。彼らがイエスに願うのです。あなたが栄光を受けるとき、私たちをあなたの右と左に座らせて下さいと。

 今日の説教題を「右と左」としました。右と左とは、あなたに従う者の中で最高の地位にして下さいということです。側近中の側近、最高の名誉と特権、そして他の者とは違うより豊かな利益、それを願うのです。しかも彼らは、願いを叶えてくださいとさえいうのです。単にお願いするのではなく、確実にそうして欲しいというわけです。

 何とも図々しいというか強欲といえます。この後、出し抜かれた他の10人の弟子たちが腹を立てたということが記されています。つまり他の10人も同じ穴のむじなです。強欲なのです。自分こそ得したい。他の弟子たちの誰よりもより上になりたい。得をしたいと思っているのです。

 前の段落では受難予告がありました。イエスの目指すことがわかったように思うのですが、実は彼らは何もわかっていなかったわけです。素晴らしい状態が待っている。彼らはそう思っているのです。前の段落でペテロが言うのです「私たちは何もかも棄ててあなたに従ってきた」。つまり、弟子たちにしたら、これだけの犠牲を献げてきたのだから、それ相応の報いがあるのは当然だと信じて疑わないのです。

 これが人間の思いではないでしょうか。私たちはこんな弟子たちを批判できないと思います。この国で信者になることは極めて稀なことです。信者は国民全体の0.7%です。しかも世間の好意的な承認はほとんどない。信者であることで何ら得することはない。むしろ不都合や不利益が多い。しかしそれにもかかわらず、懸命に信者としての責務を果たしている。それが私たちおかれた現実です。


 そんな私たちだからこそ、必ず大きな報いがあるはずだ。やがて素晴らしい幸福が与えられるはずだ。信者でない者と同じ報いがあるなど絶対に赦せない。信者同士であっても、熱心に教会生活をしている自分とそうでない者とはいただける報いが違うのは当然だ、そうでなくては理不尽だ。そんなふうに思うこともあるのではないでしょうか。まさにあの放蕩息子の譬え話のお兄さんと同じ考えです。

 しかし、イエスの思い、イエスが考える栄光はこれとはまったく違うのです。イエスは、偉くなりたかったら、つまり「栄光」を得たいのだったら、仕える者になれ。奴隷のように仕えろ。徹底して低いところに自分を置けというのです。ここで「仕える」と訳されている言葉は、原文では「ディアコニア」という言葉が使われています。これは「ディア;~を通る」、「コイノス;塵や泥」という意味の合成語です。

 つまり、他者に仕えるとは、普通であれば、まったく人が嫌うような、まったく低く、利益もなく、それどころか理解も得られない、尊敬もされない、馬鹿扱いされる。そんなところまで身を落としてまでも、他者のために生きる。まさに泥まみれになっても他者のために生きる。そんな意味なのです。


 さて、先週に引き続き、西郷隆盛のエピソードを紹介したいと思います。幕末の日本にとって最大の問題は、欧米列強諸国に対して、たとえ理不尽であっても外交関係を結ぶ「開国」を進めるのか、それとも、このまま鎖国を続け、外国の理不尽な要求に対して武力も辞さない「攘夷」を実行するのかということでした。

 この状況下で、アメリカからの二度目の開国要求を迫られます。そのとき最高責任者であった、大老、井伊直弼は、他の有力な藩主や朝廷の意向を無視して、「日米修交通商条約」を結びました。日本側にとって不平等な条約です。また、将軍の後継者問題でも、井伊直弼は、周囲を無視して独断で選んだのです。

 これらの決定に、有力な藩主たちは激しく非難します。しかし、井伊直弼は、反対意見の者たちを徹底的に弾圧するのです。これが「安政の大獄」と呼ばれた事件です。これによって、多くの有能な人たちが弾圧されました。今、放映されている大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の一人、吉田松陰も弾圧されたひとりです。ちなみに井伊直弼は、この恨みを買って暗殺されます。「桜田門外の変」です。

 さて、安政の大獄の弾圧対象者の一人に、京都清水寺の住職、月照という人がいました。僧侶でありつつ、政治活動をしていた人です。井伊直弼の政策に批判的でした。西郷とも活動を共にし、お互い尊敬し合った仲でした。西郷はこの月照を匿います。そして隠密の旅の末、故郷鹿児島に来ます。西郷は月照の保護を薩摩藩に懇願するのです。しかし、幕府の弾圧を恐れた当時の藩主、島津久光は、月照を、「日向送り」にせよと西郷に命じるのです。日向とは今の宮崎県です。鹿児島と宮崎の県境で、月照を斬り殺せ。これが日向送りの意味なのです。

 西郷は苦しみの境地に立たされます。藩主の命令は絶対です。逆らえば死刑です。でも、西郷は共に活動してきた月照を殺すことなどできません。月照も状況はよくわかっています。西郷の立場を思えば自分の運命を覚悟していました。そこで何と西郷は、月照との心中を決意するのです。西郷は薩摩藩ではなくてはならない存在です。しかし西郷は、どうしても月照を見捨てることができないのです。だから心中という決断をするのです。

 鹿児島の錦江湾を渡航中の舟から、西郷と月照は固く抱き合ったまま、入水したといいます。他の乗組員が必死に二人を救助します。結果は、月照は溺死。西郷は意識不明の重体だったのですが、三日後奇跡的に息を吹き替えしました。西郷は月照と一緒に死ねなかったことを生涯悔やんだといいます。西郷は「情の人」だといわれます。他者の悲しみや苦しみを観て、放っておけない人なのです。この世的な損得で動かないのです。


 イエスが考える栄光とは、西郷のように、人を愛する。そのためなら不利益を被ることも厭わない。それこそが「栄光」なのだ。すなわち、神がよしとしてくださることではないかということだったのではないでしょうか。

 十字架の場面を思い出して欲しいと思います。三本の十字架が立っていたのです。イエスの十字架の右と左には犯罪人が掛けられていたのです。国家反逆罪として十字架に掛けられていたのです。ローマの圧政に謀反を起こした彼らです。民衆の幸福のために生きた彼らなのです。

 イエスの右と左になるということは、たとえ自分が不幸になろうとも、損をしようとも、それどころか、殺されようとも、それでも、イエスの志を受け継いで生きることを厭わないということではないでしょうか。

 わたしたちは、信者になることで、きっと、報いがある。そう信じていると思います。また、そうでなくては理不尽だ。そう思うこともあります。しかし、実際には、信者になって、イエスに従うことは、いい事など何もなく、辛いことばかりの人生になるかも知れません。

 しかし、キリスト教信仰とは、それでも自分は、イエスを救い主と信じて生きることを決意することです。そこでは人間の思いや願いはまったくち砕かれます。それでも私たちはイエスに従っていけるのでしょうか。厭々、そんな宗教では無理です。従えません。そう思うのでしょうか。皆さんは、この問いかけに、どう向き合うのでしょうか。



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by buku1054 | 2015-05-04 18:13 | 礼拝メッセージ | Comments(0)

2015年5月3日坂下教会礼拝メッセージ

2015年5/3礼拝説教「苦しみの先に」マルコ10;32~34

 今日の箇所はイエスが自らの受難を予告したところです。しかも今回は三度目です。最初が8章、二回目が9章にあります。共通することは、殺されて復活するということです。しかし今回は、前回の二つのものよりも描写がより詳しくなっています。まるで自らが実際に体験したかのように語るのです。普通に考えれば、これほど自分の未来を詳細に予測することは難しいと思います。

 このことからここは「事後預言」ではないかとも解釈されます。つまり、後の世になって、イエスの受難の詳細を知っているこの福音書記者が、イエスがさもほんとうに受難を予告したように記したということです。したがってこれはイエスの言葉とはいえない。この福音書記者が創作したのだ。ゆえに意味がない。そう解釈される人もいます。

 でもそれでは、これ以上話すことが無くなってしまいます。私は、ここが事後預言なのか、そうでないのかというよりも、そもそもなぜ、受難予告という記事が三回もあるのだろうかということが大切ではないかと思います。この福音書記者は、イエスを理解する上で、あるいは、ここに福音の本質がある。そういうことから、この福音書記者は三度も記したのではないだろうかと思うのです。

 では、本文をたどってみたいと思います。「一行がエルサレムへ上っていく途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた」。この部分、原文により忠実に訳されている岩波書店の聖書ではこうなっていました。「さて、彼らはエルサレムに上る途上にあった。そしてイエスは彼らの先頭に立って進んでいた。そこで彼らはのべつ肝をつぶし、従う者たちは絶えず恐れていた」。どうでしょうかこちらの訳の方が、よりリアルさが伝わってきます。

 弟子たちは先頭に立って歩まれるイエスを見て、のべつハラハラ、ドキドキし、従う者たち、これはイエスの支持者たちでしょうが、絶えず恐れていたというのです。何というか、ここにはそれまでのイエスとは違うものを感じるのです。悲壮感漂うというか、ある覚悟をもって突き進むというか、鬼気迫るというか、ものすごいパッションを全身から発しているイエスという感じがするのです。

 それまでの経緯から、イエスの身に危険が迫っていることは、弟子たちも支持者たちも感じてはいたはずです。だから、ユダヤ当局の本拠地、ユダヤ教の総本山であるエルサレムへ行くなど止めた方がいい。イエスについてきた者たちはそう思っていたはずです。しかし、もはやイエスを止めることはできない。最初の受難予告の際、イエスを諫めたペテロでさえ、もうイエスを押さえることができない。そんな印象を受けます。

 私はここでイエスが先頭に立って進んだというのは、単純に事実としての位置を描写したのではなく、心理的というか心情的というか、そういうものを示しているのではないかと思いました。つまり、イエスはこのとき、弟子や支持者たちと生き様がかけ離れてしまった。遙か彼方まで進んでしまった、その違いというか、イエスの凄さが、イエスが先頭に立って進んで行かれたという言葉に込められているのではないか。そう感じるのです。


 さて、話は変わりますが、数年前に放映されたNHKの大河ドラマ「龍馬伝」を観て以来、私はすっかり幕末好きになりまして、幕末に関する本を読み漁っています。ちなみに私が好きな幕末の偉人は、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛です。最近は西郷のものを読み込んでいます。

 西郷隆盛、その名前は誰もが知っているところですが、歴史に興味がなければどんな人だったかは案外知られていないと思います。西郷は、あの内村鑑三がその著書「代表的日本人」の中に記した人物の一人です。内村は日本の歴史上、もっとも尊敬すべき偉大な人物の一人として西郷をあげています。

 ご存じの方もいると思いますが、西郷の座右の銘は「敬天愛人」です。天を敬い、自分を愛するように人を愛せよです。イエスの言葉とほとんど一緒です。事実西郷は、聖書を読み込んでいて、周囲にも勧めていたといいますから、聖書に影響を受けていたことはたしかでしょう。因みに、江戸時代はキリスト教が禁止されていました。明治5年になってその禁止令が解かれたのですが、それを為したのが西郷なのです。ともかく西郷は、この敬天愛人を実行していた人であったといえると思います。幾つものエピソードがありますが、時間がありませんから一つだけ紹介したいと思います。

 明治になり、新政府はものすごいスピードで新たな国家体制を築いて行きます。その中で大きな問題がありました。それはかつての武士たちの処遇問題です。明治になって武士たちはそれまで持っていた様々な特権を剥奪されました。そういう不満は各地で新政府への反乱という形で起こりました。佐賀、山口の萩、福岡の秋月など。実はこれには、新政府が挑発してわざと反乱を起こさせて、政府の正当性を担保にして叩くという意図があったのです。

 西郷のいる薩摩でも不満が燻っていました。このとき西郷は、政府の大臣の座を降り、故郷鹿児島に引き上げて農作業や後進の指導に当たっていました。政府にとって、西郷の存在は大きいものでした。またたいへん人望も篤かったので、西郷の支持者は薩摩だけではなく全国各地にいました。もし西郷の元に不満武士たちが結集すれば、政府としては苦戦を知られるかも知れないと考えていました。そこで政府は西郷を挑発して、早い段階で叩いてしまおうとするのです。

 しかし西郷はそんな挑発には乗りません。ところが西郷の弟子たちが挑発に乗って暴力行為に走るのです。西郷はその知らせ聞いて、開口一番「しまった!」と言ったそうです。政府は謀反者の差し出しを要求します。それは彼らの死刑を意味します。西郷は悩んだ末、政府の要求には応えず、政府と戦う決意をします。これが日本最後の内戦といわれる「西南戦争」です。


 決戦を決意したそのとき、弟子たちに対して西郷はこう述べたそうです。「私の命をあなた方に与える」。結果、政府の圧倒的な勝利。西郷は、故郷鹿児島の城山で腹と太ももに銃弾を受け、「もうここらへんでよか」と述べて弟子の一人に介錯を頼み自決しました。

 実は、政府側で西郷を挑発したのは、かつての盟友、幼なじみの大久保利通です。私は西南戦争をこう解釈します。当時、国の実権を握っていた大久保の思いからすれば、早く国家としての体制を確立しなくてはなりません。富国強兵、殖産興業です。そうでないと欧米列強諸国の餌食になるからです。

 その思いは西郷も同じです。まだそれが実現していない今の段階で、大きな内乱に発展したら、幕末が直面していた問題と同じく、すなわち欧米列強諸国が介入して、日本が植民地にされてしまうという懸念があります。もしもそうなっていたなら今の日本はありません。アジア、アフリカ諸国のような独裁者の支配と貧しい民衆といった状態になっていたはずです。内戦などしている場合ではないわけです。

 しかし一般の武士たちの不満はある。でも、力のある薩摩の武士たちさえ押さえれば何とかなると政府は確信していた。だから大久保は、故郷である薩摩を、西郷を潰そうとした。大久保はきっと辛かったはずです。故郷と盟友を葬るからです。西郷は、大久保の思いも、弟子たちの不満もわかっていた。全国的な内乱に発展する前にここで戦って終われば、国は安定体制となり、欧米列強の脅威からも逃れられる。西郷はそこまで読んだ上で政府と戦うことを決意したと思うのです。つまり、自分はこの戦いで命を落とすだろう。しかし、そのことで、この国が保たれる。「私の命をあなた方に与える」。この西郷の言葉は、目の前の弟子たちだけではなく、自分を潰そうとする盟友大久保利通にも、そして日本国民すべてをも含んでいたのではないか。私はそう思うのです。


 本文に戻ります。イエスは弟子たちを集めます。そして述べるのです。「今、私たちはエルサレムに上っていく。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する」。

 弟子たちにとって、また、イエスの支持者たちにとって、こんな言葉は聞かされたくはありません。栄光を夢見て何もかも棄ててついてきた弟子たちです。やっと自分を救ってくれる方と出会ったのにと信じてついてきた支持者たちです。殺されるなんてあんまりだ。彼らは皆、悲しみ、希望も消えそうな心境にあったのではないでしょうか。

 しかし、受難予告といわれますが、内容としては、厳密に言えば、単なる受難予告とはいえないと思います。書かれているのは、受難だけではありません。復活するということも記されているからです。岩波の聖書では、「復活する」が原文通りの意味で「彼は起き上がらされるだろう」となっています。つまり、神はイエスを見捨てないということです。

 イエスは、自分が殺される運命にあることはわかっていたはずです。イエスにとってそれは恐いことであったに違いない。ゲッセマネの園での祈り、「死にたくない」がそれを証明しています。しかし自分が命を落とすことで、新たな何かがはじまるのではないか。神はきっとそうしてくださるに違いない。そう信じていたのではないでしょうか。だから復活するのだ。起き上がらされるのだという言葉が添えられたのではないでしょうか。

 私は、西郷隆盛とイエスとが重なるのです。西郷の言葉、「私の命をあなた方に与える」。これはイエスの言葉でもあったのではないかと思うのです。悲嘆に暮れる弟子や支持者たちに、私の命をあなた方に与える。この命は、必ずあなたがたの中で再び芽を出し生き始める。そしてあなたがたは希望を抱きながら人生をはじめるようになると。


 事実、イエスの死をもって何もかも終わりになったのではなかったのです。弟子たちは再起し、教会という形でイエスの志を受け継いでいくのです。そのときから2000年、教会は今もあります。確かにヨーロッパや日本では、教会は衰退しています。けれども世界規模で観れば、まだまだ教会は盤石です。

 なぜなら、教会にはイエスの命が与えられているからです。どんな不条理や悪にも勇気を持って立ち向かい、常に弱い者に寄り添い続けたあのイエスの命が、教会に、そしてそこに連なる私たちの魂に生きているからです。この命が受け継がれているゆえに、この世から教会が無くなることは絶対にない。私はそう確信しています。

 わたしたちは、伝道が振るわないこの日本で、しかもさらに悲観的にならざるを得ないこの農村で、教会を支えています。ときに、もうだめだ。そんな思いになることもあります。しかし、私たちには、イエスの命が与えられている。そのことを信じ、希望を棄てず、 できることを地道に為して行く。そうありたいと思うのです。それが、私たちのために命を与えて下さったイエスに応えることではないでしょうか。


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by buku1054 | 2015-05-03 18:51 | 礼拝メッセージ | Comments(0)