2015年 06月 10日 ( 1 )

中部学院大学・名古屋学院大学礼拝でのお話し

さて、皆さんはこの大学を選ぶ際、ここがキリスト教主義の大学であることを知ったと思います。そのとき、どんな思いを抱きましたか。キリスト教の信者である方は、これ幸いと思ったはずです。でも、信仰を持っていない方、ほとんどの方がそうだと思いますが、もしかしたらキリスト教を押しつけられるのかな?洗脳されるのかな?そんな心配を抱いた方もいるはずです。ですから、こうしてわたしの話を聞くことも、なんだか抵抗があるな。嫌だな、面倒だなと思う人もいるはずです。

ですから、ほんとうは聴きたくないけど、授業の一環だから一応聴きますでもいいです。でも、もしも、今日の話の中で、ほんの少しでも感じることがあったら、ありがたいです。

さて、キリスト教だけでなく、仏教、イスラム教、ヒンズー教といったように、この世にはあまた宗教があります。わたしは、それらの宗教の中で、何と言いますか、とても常識では敬遠したくなる、怪しい宗教といったものを除いた、いわゆる伝統宗教が目指していること、その教えは、本質において、そんなに違わないのではないか。そう思っています。もっともこんなことを言いますと、他の牧師先生からお叱りを受けるかも知れません。私が尊敬するある牧師は、次のようなことを述べていました。

「信仰を<まごころ>と言い換えたい。それは、ほんとうのことをほんとうと認める心である。まごころの第一の意味は、人間は自分の力で自分を生んだのでなければ、生きているのでもない。〃生まれた〃ということ自体、受動態である。生かされて生きているということがすべての人間の基本姿勢である。

そして、第二の意味は、他者もそうであることに気がつくことである。私も神の子、他者も神の子。そのことが心の底からわかること、それが信仰の根底的意味ではないだろうか」。この牧師の言葉は腑に落ちます。要するに、自分が存在する、その根拠は自分にはないということです。

皆さんどうでしょうか。皆さんが今ここにいる。それは皆さんの努力があったからでしょうか。もちろんそうです。努力無くして大学まで進むことはできません。でも、皆さんが努力する以前に、この世に生まれ、ここまで生きてこなくては、今はありません。ここまで生きてきたことは、すべて皆さんの力でしょうか。

そうではないですよね。そもそもお父さんとお母さんがいなければ、あなたがたはいないわけです。それと、あなたがたが生きるためには、食物となる動植物の命がなければなりません。また、私たちの生きる大前提である、この地球がなくてはなりません。太陽や空気がなければ私たちは生きられません。他にもあなたがたをこれまで支えた学校の先生や親戚の人や地域の人や兄弟姉妹や、友人、他にも気がつかない多くの人たちによって今のあなたがたがあるのです。

これはほんとうのことです。特定の思想、信条、信仰であっても、このことは否定できません。キリスト教でも仏教でも同じです。したがって、今ここで,自分がいるということは、奇跡と言えるのではないでしょうか。何か一つでも欠けたら、今自分はいないのです。

ですからここにいること、今生きていること、それは、とてつもなくありがたいことなのです。感謝しかありません。これを伝えることが、宗教の役割なのかも知れません。私は皆さんがクリスチャンになったら嬉しいです。でも、それよりも大切なことは、今ここに生きている。それは奇跡であり、感謝なんだと思えることではないでしょうか。

先ほど読んでいただいた聖書の言葉に「神を畏れ、その戒めを守れ」これこそ人間のすべてとありました。これは言い換えると、こうなると思います。「神を畏れ」とは、ほんとうのことを認めなさいということです。それは、私たちは誰もが生かされているのだ。このことにおいて違いはない。ゆえにすべての者は尊い存在だということです。「その戒めを守れ」とは、だからお互いに大切にし合ってゆくということです。これが人間にとってもっとも大切なことだということではないでしょうか。


[PR]
by buku1054 | 2015-06-10 18:58 | その他 | Comments(0)