2015年5月24日坂下教会礼拝メッセージ

2015年5/24「胸を張って生きよう」使徒言行録2:1~13

 今日は教会の暦で「ペンエコステ」です。日本のプロテスタント教会では、ほぼ「聖霊降臨日」と呼んでいます。神の働きがこの世に降ったということです。キリスト教の三大祝日の一つです。この世界に教会が誕生し、キリスト教の宣教がはじまったことを覚える日です。そういうことで、今朝はマルコによる福音書を離れて、この日にちなんだ聖書箇所から聴きたいと思います。

 ところでわたしは、今から55年前、神奈川県川崎市、新丸子というところで生まれました。新丸子は、東京と神奈川の間に流れる多摩川の辺にある町です。当時は小さな町です。わたしの「母子手帳」によりますと、わたしは昭和35年、西暦で言えば1960年10月27日午後4時8分、この世に生を受けました。身長52㎝、体重3.3㎏でした。

 生まれた病院は「立岡産婦人科」という病院でした。まだその頃は出産の件数が多かったので、独立した産婦人科が多かったようです。また、わたしが生まれた昭和35年はベビーブームだったようです。それから父の仕事の都合で川崎市に3年、それ以降は東京の各地で生活しました。ですから、川崎市で3年、東京で33年生活したのです。でも、人に説明するときは面倒なので東京で生まれ育って36年間と言ってます。

 そして19年前、坂下にやってきました。途中から川上に引っ越しましたので、坂下および川上で満18年ということです。 丁度、東京時代の半分をここで過ごしたことになります。今までの人生を振り返りますと、何でこうなったのか。何でここにいるのか。とっても不思議な気持ちで一杯です。やはり神の働き、神の導きがあるのでしょうか。

 ともかく、これだけ長くいると、わたし自身、いろいろな変化がありました。その内で、今日の主題から言うならば、「言葉」です。18年もいるわけですから、この地方の方言が身につくと思います。でもわたしは、一向に東京の言葉で喋っています。娘の未来は、ここで生まれ育ったので、坂下訛が身についています。それは当然です。でも久美子が、ここの訛を自然に駆使していることが、わたしからするとどうもわからないのです。不思議だなあと思います。女性は順応性が高いのでしょうか。

 それに対して、わたしはこの地の訛に染まりません。多少は影響を受けているとは思いますが、地の人からしたらほとんど標準語で話していると思います。なぜでしょうか?改めて考えてみました。

 わたしは、自分のルーツというか、自分の根拠というか、それは、紛れもなく東京だと思っています。
わたしにとって、30数年過ごした所、その東京がわたしの故郷です。これを変えることはできません。

わたしは今、この地が大好きです。一方、正直言って、東京は好きではありません。誰も彼もが憧れる東京、なんだか驕り高ぶっているような東京。牧師の世界でも、最初は田舎の小さな教会で修行がはじまって、次に地方都市の中規模教会でキャリアを積んで、最後は東京の大教会でゴールイン。それが暗黙の了解になっています。そんな恵まれた東京が好きになれないのです。

 先週東京に出張で行きました。4年ぶりでした。あまりの変わりように戸惑いました。数多い人の流れを見ていて目が回る思いでした。空気が悪いです。ともかく居心地が悪いのです。でも、次の日に名古屋に来ると安心しました。さらに次の日にここまで来ると嬉しくなりました。わたしはすっかりこの地の人間になった。改めてそう思いました。しかし、そんな嫌いな東京にわたしは生まれ育ったのです。そこは亡くなった両親が生き抜いたところです。今も兄弟がいます。親友がいます。わたしを育てた教会と神学校があります。それが東京なのです。そんな東京をわたしは否定できません。


 ここ東濃で骨を埋めることになったとしても、それでもわたしは東京人である。また、そのことを忘れたくないという自分があるのです。それがこの地方の方言を喋らない理由だと思います。わたしは東京の人間だ。それは棄てたくないのです。理屈でない思いがあるのです。わかってもらえるでしょうか。


 さて、「ペンテコステ」です。イエスが復活された後、50日目、神の働きがあって、教会が成り立ち、宣教がはじまった。それを記念する日です。ところで、イエスが殺されて、教会が起こるまでの50日間。弟子たちは、いったい何をしていたのでしょうか。聖書によれば、どうも弟子たちは、ずっとある家の中に隠れていたようです 。信頼していたイエスが殺されて、恐ろしくなったからです。

 自分たちにも火の粉が及ぶのではないか、見つかったら、拷問されたり、イエスと同じように殺されるのではないだろうか。そう思って恐れていたと思います。だから、町の中に行くときは、声を潜めて、しゃべらないようにしていたのではないでしょうか。それがこの箇所のキーワードです。言葉なのです。

 考えてみたら、イエスも弟子たちもガリラヤの訛が強い言葉を話していたはずです。その言葉を聞かれたら「こいつはガリラヤ訛だな。ガリラヤの方言だな、そういえば、この間イエスというガリラヤの男が十字架で殺されたばっかりだ。もしかしてお前もその仲間じゃないのか」。そんなことになるかも知れません。実際、ペテロは、イエスが捕らえられた後当局に忍び込み、ガリラヤ訛がばれて危機が迫ったのです。だから弟子たちは、家の中にずっと隠れていたのです。それでも食料の調達など、たまにやむを得ず外に出なくてはなりません。そのときには、絶対にガリラヤの言葉をしゃべらないようにしよう。そうお互いに確認し合っていたと思います。


 でも、50日目のその日、弟子たちが隠れていた家の中に、何とも不思議な風が吹いてきました。窓もドアも閉め切っているのに、どうしてこんな風が吹いてきたんだろう、そう思っていると、なんだか自然に勇気が湧いてきて、気が付くと弟子たちは外に出て、大声でイエスのことを話し始めていた。どうもそんな感じなのです。


 彼らは、どんな言葉でしゃべり始めたのでしょうか。聖書には「他の国々の言葉で話し出した」と書いてあります。でも、それは違うと思います。いくら何でも突然知らない国の言葉をしゃべり出すわけがありません。ほんとうは、弟子たちは自分の言葉、ガリラヤ訛の自分の言葉でしゃべりだしたのではないでしょうか。今まではイエスの仲間だと言われるのが怖くてしゃべれなかったガリラヤ訛をしゃべりだした。そう思うのです。

 するとそこにたくさんの人が集まってきました。ちょうどのその日は、ユダヤ教の五旬祭という小麦の収穫感謝のお祭りの日で、外国からもたくさんの人たちがエルサレムに来ていました。その人たちは、それぞれの国で、ユダヤ教の教えや祭儀などの話を聞いて、ある意味、現世的な利益を求めて、わざわざ異教の祭りに参加していたのだと思います。

 でも、いざエルサレムに来てみると、「お前は外国人だな、ユダヤ人の言葉をしゃべれないんだな」「外国人はユダヤの神殿には入っちゃいけないんだぞ」「そもそも外国人が救われることなど絶対にない」などと、冷たい言葉を浴びせられ、意気消沈していたと思うのです。ですから、ユダヤ人以外の人たちは、外国人だということがばれないように、絶対に、自分の言葉をしゃべってはいけないと自分に言い聞かせていたのかも知れません。

 そこにいた人たちのリストが記されています。パルティア、メディア、エラム、メゾポタミア、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、リビア、クレタ、アラビア、いろんな国の人たちがいました。実は、ここに挙げられている国は、皆ローマ帝国によって侵略され、蹂躙され尽くされた国々です。

 ローマの軍隊がやって来て、「この国はこれからはローマ帝国のものだ。この国でとれる食べ物も産業も文化も何もかもローマ帝国のものだ。おまえたちは、これからは俺たちローマの家来になるんだ。ローマに刃向かったりしたらみんな殺してやるぞ」、そんなふうに言われていたのでした。それなのに、このガリラヤの人たちは、胸をはってガリラヤ訛でしゃべっているではないか。ローマに刃向かった者として殺されたイエスのことを、イエスと同じガリラヤ訛でしゃべっているではないか。それはほんとにびっくりするようなことだったのではないでしょうか。そしてそれを聞いているうちに、外国から来た人たちは、なんだか自分の生まれ故郷の言葉を聞いているように思えてきた。そう思うのです。

 彼らは思ったはずです。そうだ、胸をはって、自分の言葉をしゃべってもいいんだ。ユダヤの言葉をしゃべれなくたっていいんだ。ローマの言いなりにならなくたっていいんだ。イエスの弟子たちが、胸をはってガリラヤ訛でイエスのことをしゃべりだしたのを聞いた人たちは、きっとそんなふうに、思ったんじゃないでしょうか。

 ペンテコステの日の出来事というのはそういう出来事だったと思うのです。それは、どの国の人も、どんな人種でも、どんな民族でも、どんな言葉をしゃべる人も、胸をはって自分らしく生きていくことがよしとされた日ということではないでしょうか。それこそが教会がこの世の人たちに示す福音ということではないでしょうか。


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by buku1054 | 2015-05-24 18:27 | 礼拝メッセージ | Comments(0)
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